日々旁午

2004


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総合学習も、ここまで突き詰めてやると、かなりの効果が期待されるのではないか。産経新聞の伝えるところによれば、杉並区の小学校において、年間50回も劇作家が授業を担当してくれる模様である。渡辺えり子氏や小椋佳氏、谷川俊太郎氏が講師として来てくれるのであるから、ワタクシも小学生に戻って授業を受けたい気持ちである。こんな豪華ゲストにいわば演劇学の初歩を学べるのであるから、いまの小学生がうらやましい。産経が、「前半の半年間は、プロの劇団の演技を見学したり、台本の朗読や詩の学習などいろいろな表現の手法を習得。後半は児童自身がアイデアを出し合って1つの劇を完成させ、『6年生を送る会』で発表するという試みだ」と報告しているのを読んで、心底そう思った。体験的な学習や動的な学習が華やかに喧伝されている当代教育事情のなかでも、第1級の試みと評価できる。こうした試みが、しかし、東京の杉並という都会でしか実施できないのは嘆かわしい。地域の教育力を掘り起こし、そのパワーを学校に活かす取り組みを各学校は追求しているけれども、渡辺氏や小椋氏など、そう簡単に呼べるわけもない。そうだとすると、冷水を浴びせるようであんまりいいたくないけれど、教育の地方間格差が発生する根拠にもなろう。よかれと思ってやる協力が公平性を崩す矛盾である。日本国中どの学校でも、こうした総合学習の実践をうらやましく思っていることを、日本劇作家協会は理解してほしい。身近な大都市圏だけでなく、鄙びた地方でも、あなた方を待ち望んでいるのである。教育の機会均等はやはり大切なことであるし、教育内容の水準が都市と地方で格段な違いをみせることには、おいそれと賛成できない。ここに教育行政の難しさがある。以前、教育における地方の叛乱についてこの旁午のコーナーで書いたことが、目に見えてあらわれている感じである(4/20)

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九州大学に激震が走っている。セクハラやアカハラを理由に大学当局に対し学生が集団提訴した。卒業生を含め、40人を超える学生からの告発は異常である。これだけ証言が揃えば、事実かもしれない。事実なら相当ヒドイ話である。当の先生はすべての職務を剥奪された。梶山千里学長は、二次被害を食いとめたいと必死である(西日本新聞)。大学は、一番生産性効率の悪い組織体であるし、一番閉鎖性の強い団体でもある。「開かれた学校」の理念は、大学にこそ必要といえる。それはシラバスを発行するということだけではない。なにも扉をガラス張りにしなくてもいいけれども、精神的には開放制を保つ工夫をするべきであろう。これから、独立法人として大学が存続していくにあたって、従来のような「事を握りつぶす姿勢」ではやっていけなくなる。それは、あらゆる組織でそうなのではある。たとえば警察組織も。ワタクシが講義を担当している大学でも、バスケットボールの3秒ルールならぬいわば「1分ルール」なるものがある。これはなにかというと、講義教室におけるセクハラ防止のため、ジロジロと1分以上同一の学生を見つめないルールである。そういう講義担当者宛のパンフレットが存在するのである。無自覚にせよ、未然に「事件」を防ぐ点で妙案ではある。「満員電車に乗る時は、両手で釣り皮を握れ」の規則を教えられたようなものである。だが一方で、そこまで学生に気を使わなければならなくなった世相が寂しい。一体どうしてこんな社会状況になったのであろうか。本来こうした「1分ルール」を規定しなくとも、そんなことは教員個々人が自覚するものであろう。しかしそうした倫理意識を保持しているようで、実際は確立していない場合もある。ワタクシも油断してはならない。そのうち電車と同じように、女性専用教室とその講義を担当する女性教員が設置および雇用されるのかもしれない。一方で男女混合名簿や男女全員「さん付け」のようなジェンダーの思想がよしとされ、他方では、厳しく弁別する。ワタクシたち人間存在は、この先、こうした問題についてどのように考えていけばよいのであろうか。江戸時代、混浴が普通であったのを、「へぇ〜」とびっくりしている現代人だが、女性専用列車に「へぇ〜」と驚く時代が必ずやってくる。「そんなの当然じゃん」との声が、22世紀から聞こえてきそうである(4/19)

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昨日は、当サイトを通じた幸運な出会いから、広島におきまして教員採用試験対策の講義をさせていただきました。今回の学習会に参加いただいた60名を超えるみなさま、ありがとうございました。また、今回の学習会のセッティングに奔走された、広島県教職員組合のみなさま、ありがとうございました。そして、お疲れさまでした。朝、新大阪を07:03に出発し、東広島に09:28に到着しました。こだまですから各駅停車です。10回ほど、停車案内アナウンス曲である「いい日旅立ち」を聞きました。ほんとにいい日でした。みなさまに会えたということでも、東広島の雲一つない晴天ということでもです。新幹線は、眠れるようで眠れません。一端寝ると、博多までいってしまいそうですから。2時間半ありますから、本日使用のレジュメを見直したり、講義内容の組み立てを考えたりしておりました。みなさま、講義用にお配りした20余ページのレジュメはいかがでしたでしょうか。稚拙ながら、広島県教採対策にまとを絞って資料選択いたしました。あとでレジュメだけを読んでいただいてもわかるように作った心算です。広島県の問題は全記述式ですから、その点でムツカシそうに感じられます。しかし、非常に良問揃いでもあります。講義では時間的なこともあり、数段落端折ったところがありました。ご自宅で検討いただきたいと思っております。論作文の解説では、一般的な注意事項を掲げた後、みなさまから提出いただいた論作文を素材に、コメントを付ける手法を採用しました。次回以降に提出される場合、そこで示した条件をクリアし記述されるよう期待しております。ただ、さすがに論作文を一字一句細かく見ていきますと、時間が足りず、2枚しか見ることができなかったのが心残りです。例文として取り上げられた論作文の提出者は、「あっ、私のだ」とさぞかし驚かれたでしょうね。ところで論作文の解説中、ハプニング(講義中に「ちょっと待って下さい」といって、3分ほど教室を離れたことです)が起こり、大変ご迷惑をおかけしました。ワタクシの姿をご覧になっていて、淡々と講義をこなしているように思われていたことでしょう。しかし、実は、みなさま以上にド緊張しておりました。極度の緊張ゆえ、急に気分が悪くなり、冷や汗がタラタラでてきたのです。申し訳ない。自分がこんなにナイーブであることにびっくりしております。といいますのは、今回の講義は、わざわざ貴重な休日を利用して、遠く広島全県からご参集いただいているのに、「つまらない」(A子ちゃん!)講義をしたらどうしようと張り詰めていました。少なくとも「来た甲斐がある」と思っていただかねば面目次第もありませんし。かつ、ワタクシ一人がその責めを負うのではなく、広教組のみなさまにご迷惑がかかります。こうしたことが、ド緊張と冷や汗をもたらしたのでしょう。みなさまに「リラックスして下さいね」といっていたワタクシが、一番緊張していたようでした。オハズカシイ。講義後、広教組の方々と反省会を持ちました。みなさまからのアンケートを基に、反省会でいただいたご意見を、次回のレジュメに反映させる所存です。第2回以降もよろしくお願いいたします。第1回のレジュメは、午前中の講義のページのみ、後日、このサイトにアップする予定です。少し見つかった誤字などを訂正し、内容に、ほんのちょっと手をいれたいと思っております。「いきはよいよい、かえりはこわい」の逆でして、帰りは無事終了した安心感、心地よい疲労感とレールスターのリラックスシートに包まれ、19:28に新大阪に無事到着いたしました(岡山乗り換え)。お預かりした論作文添削には、少し時間をいただきます。今月中に、添削終了した分から順次ご自宅まで郵送いたします(4/18)

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昨日はイラク日本人拉致事件に言及したが、どうもワタクシ自身も跡を引きずっている感覚である。純ちゃんも「なにを考えとるねん」的に不快感を示している。解放された若者が、活動継続の意志表示をしたからである。昨日ワタクシは、「ワタクシたちは、心のどこかで、他者への愛あるNPOの行動を尊いと思っている」といった。国際的ボランティア活動に対し、こうした捉え方は変わらない。だが、なんだかなー、という感想も持つに至っているのも事実である。イラク指導者、日本大使館関係者ほか、多くの方の尽力によって解放されたのであるから、NPO活動をすぐに継続するのではなく、ちょっとここは頭を冷やして帰国し落着くべきではないか。親御さんも心配でたまらないだろう。国民の前で頭を下げているのである。そうした「迷惑」をかけた人びとに、自分に起こったことを包み隠さず説明する責任はあるであろう。それから次の行動にでるのが、普通の感覚ではないのだろうか。それを「まだつづける」と帰国前にぶちまけたのは、若者の純粋な精神では済まされないものがある。このまま活動継続では、「懲りない奴」との批判が巻き起こるのは避けられない。「次はない」、といわれても仕方がない。これが一昨日の解放報道以降の国民感情一般ではなかろうか。ところで、ここまで若者を駆りたてる思想的動機はどこにあるのであろうか。そちらの方に興味がある。銃を頭に突きつけられてもなお彼をして現地で活動せしめる意志を持たせるものはなんだろう。計算づくでの売名行為的行動とは考えられないから、やはりその意志は、人道を最大価値とする自己犠牲の精神に発する平和思想なのであろうか。よくわからない。この平和思想の源泉はどこにあるのか、そのあたりの説明責任を果たしてもらわなければ、真意はわからないし、コメントのしようがない。ワタクシが跡を引きずっている所以である。国会ではイラク渡航禁止の特別措置を議論する模様である。さて、どうなることか(4/17)

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また日本人が拉致された。フリーライターとNPOメンバーの2人である。たてつづく拉致事件の対応に、政府は追われている。しかし情報も少なく、前回の拉致もはっきり解決していないし、お手上げのようである(解放速報がありました。特番介入ゆえ、プロジェクトX再映はどうなるかわかりません)。第3、第4の拉致事件も、イラク入国者がいるかぎり、発生するに違いない。記者にしろ、NPO関係者にせよ、日本人が「勝手に」イラクに入国し、拉致されたことについて、2つの異なる見解がある。マスコミもこの2つの見方に配慮しつつ報道している。一つはこうである。人命は大切だ、日本国家は日本人の命をどこにいようと守らなければならない、犯行組織の要求を受け容れ、自衛隊を撤退すべきだ、見殺しにするなという論調である。もう一つは、危険度の高いイラクに入国し拉致されるのは言語道断、そんなことで自衛隊の撤退要求に屈することはない、という声である。あくまで自己責任で行動すべきで、極端にいえば、「命を賭けてイラク入りしたんだろ、つかまって文句をいうな、だいたい行くのが間違っている」というものであろう。どちらの立場が正論あるいは国民世論なのであろうか。拉致事件に関連し、筑紫哲也氏がある番組で、政府の矛盾を大変うまく突いていた。おおよそのところ、「イラクにも安全地帯がある。そこに自衛隊は派遣されるのである。自衛隊は、戦争状況にないイラクに、つまり安全なところに、人道的支援のために派遣するのであると総理はいっていた。だが、今回の拉致そのものがイラクのどこかしこも安全でないことを証明している。とすれば自衛隊派遣根拠は崩れることになる」というのである。政府はこれに応え、状況が違うと切り返しするだろうけれども、なるほど、うまい。この筑紫氏の解説をさらに引き伸ばして考察するとどうなるか。命は大切だし、国民の安全を確保するのは、国家の責任である。安全地帯を含むイラク入国であるのだから、被拉致者をなんとしても保護すべきであろう。イラクは戦争状態にないと小泉総理は断定したのであるから、この理屈はたしかに通る。自衛隊もNPOも人道的支援を根拠にイラクへ旅立ったからである。それが、うってかわっていまの右往左往の状態である。まやかしの国会論義のツケがあらわれているといえる。次の主張。自己責任の原則は、いま、日本の流行りである。なんでもかんでも自己責任。危険な国へいく勇気は自己責任のもとにあるはずである、と。そうした主張にも一理ある。国会論儀をうのみにせず、個人のとるべき行動をよく考えろという説教であろう。だが、ワタクシたちは、心のどこかで、他者への愛あるNPOの行動を尊いと思っている。世界的な政治的理想をいわば個人単位で実行しようとしている行動である。危険を顧みず、コスモポリタンとして他の人や他民族の役に立ちたいと願い、それを行動に移せる人間が、いまの日本にどれくらい存在するであろうか。まさにタフなボランティア、国家を超えた「新しい『公共』」に尽くす姿勢である。それを、いざつかまったら自己責任で帰ってこいと簡単にいう。「世界の人々に迷惑をおかけしました」と被拉致者家族は謝罪していた(ほんとに解放されてよかった)。こんな言葉を吐かせるほどに、日本国民は冷酷なのか。ワタクシなどは、イラクにいくことすら恐い。もしも頭に銃を突きつけられたら、ちびる。だから、拉致されて「迷惑」をかけたと家族がいわざるをえないとはいえ、被拉致者の行動を非難する資格はないと思っている。国家理性は冷徹であるべきではある。だが、この件に関するかぎり、米国追随型の外交的半主権国家である日本に、冷徹な外交判断などあるのであろうか。総理大臣の発言に言葉の重みを感じられない状態にあって、なしくずし的に派遣採決があり自衛隊が出発しているのである。派兵ではなく派遣である。正論を導き出す糸口さえ、この国の議論にはなかったのである(4/16)

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本日は、更新お休みです。日々の仕事をこなすのに、齷齪しております。ざわつきだした教室で、ボソッと「静かにせんかー」、といいながら、講義しています。いやはや、阪神もまた3タテ食らいそうですし、意気もあがりません。しかし疲れていても、深夜1時からのプロジェクトXはもう一度見なければなりません。ビデオにするかな(4/15)

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昨日は感動した。TVを見て、感動した。TVの感動モノといえば、プロジェクトXである。ワタクシはいつもこの番組を見るわけではない。だが、「日頃の行ないがよいのか」、昨日にかぎって見た。すると、番組内容は、こういうもの、であった。―Pops,Yoshimura、その名を知らない単車乗りはいない。いわゆる町工場の「オヤジ」さんが、仲間や娘にカミナリを落としながら、頑固一徹、巨大な企業を向こうに廻し奮闘する一生を描いた内容であった。昭和53年の鈴鹿の模様をドラマティックに構成配置し、吉村オヤジの情熱を余すところなく描いている。久々にTVを見て泣いたよ。よかった。ある程度の脚色はあるだろうけれど、感動の45分であった。単車はなんといってもアブナイし、実用性もあまりない。高校では、化石的な指導として3ナイ運動をいまでもやっているところもあるであろう。だが、単車には、ロマンがある。たぎる血がある。ひとつことに打ち込む吉村の姿勢には、学ぶ資質がある。負けん気、ひたむきさ、チャレンジ精神、こうと決めたら梃子でも動かぬ頑固さ、そうした精神が単車に注ぎ込まれる。直径30数cm内外のリア・スプロケットに、一体、いくつ穴が開いているのか。単車の構造をよく知らない方のためにいえば、スプロケットとはチェーン駆動に欠かせない部品である。エンジンから生まれた回転運動のパワーを後輪に伝達するギアといっていい。これ(上から2つめの写真)である。自転車にも小さなスプロケットがついている。ペダルをこいで発生した駆動力がチェーンを経由して伝わる原理と同一である。動力発生装置が、ペダルかエンジンかの違いである。単車は軽ければウエイトレシオが小さくなる。100kgの単車より、99.99kgの単車の方が、パワーが同じなら当然速い。そのために吉村は削りまくるのである。軽量化と剛性のギリギリ釣り合いとれるところまで削り込む。グラム単位の軽量化である。また、秘密兵器集合管は、いまではどこでも採用している排気構造だけれど、その絞り出す力が、H社を圧倒した。「勝つ」―その意識がキャブレターの混合気に混ざって、シリンダーに注ぎ込まれ、ピストンが踊る。死んでもいいと腹をくくったのか、ライダーは、ボルト締めされていない前輪のままコースに戻っていく。リアスプロケットだけではない、カムシャフトのセンターカムチェーンスプロケットまでが、細かく削り抜かれている単車で戻っていく。その削り込まれたカムシャフトを手に、ゲストとして登場する吉村の娘さんが、またいい。ああ、ヘッポコ単車乗りのワタクシがいうのもなんだが、再放送があるので見逃した旁午読者よ、ご覧になっていただきたい。特番介入がないかぎり、関西圏では、木曜深夜1時からである。要確認(4/14)

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新入生は初々しい。主に大学1年生が履修する講義を担当しているワタクシは、せっせこ、せっせこ作ったノートを手に、ゆっくり話をはじめた。初回の授業は静かであるのが相場である。例にもれず、昨日、初回を迎えた講義もそうであった。これが、ゴールデンウィークを過ぎる頃にはザワツキだす。これまた相場である。と同時に、スチューデントアパシーにかかる。五月病は大学の、そして学生の大敵である。強制的にでもクラス分けされてきた高校時代は、その教室の雰囲気がいいにせよ、悪いにせよ、学校生活を規定し、ある種の安心感を個人にもたらしていたといえる。ところが、高校とちがい大学では確たる集団形成がないので、どのように振舞っていいのか、学生が困りだすのである。自ら動かないと何もはじまらないことを痛感するのが大学1年生なのであろう。環境が変化し、学ぶ意識が弛緩するところに、しかも学びの範囲が広がりすぎてその輪郭がつかめないところに、おとし穴が待っているのではなかろうか。なるほど鳥取大学の教職員が、新入生と一緒にランチをとるのもわかるような気がする。一緒に食べたものが、お子様ランチじゃないことを願うばかりである。ワタクシは初回の授業において、「出席はとらない」と宣言してきた。毎年こう宣言するのであるが、出席者数がどれぐらい減るだろうか。それは、学生個々人の意識の問題もあるし、講義のおもしろさにもかかっていよう。しかし、結果は、黒川氏の本の題と同じく「連戦連敗」である。必ず減る。昨年度、250人以上の履修であったが、最終的には120人くらいになった。子どもじゃないのだし、出席強制は馬鹿げている。だからその手法はとらない。学ぶ意欲を高める手助けに、昨年はレジュメを半年間で30枚配った。しかし、これも不評をかったので、お手入れして今期は挑むつもりである。だが、プリントを配る枚数が多いと文句をいう学生にはまいったよ。よかれと思って補助プリントを配っているのに、立つ瀬がないよ。また、プリントの、どこをやっているのかわからないとこぼす学生にもまいった。それだけ集中力が落ちていると思われるからである。今年の継続的出席者確保の目標は、150人としよう。ちなみに、旁午読者の受験生にも読んでいただきたい参考文献を、これまた初回に紹介したので、それを掲げて本日の旁午を締めくくる。筧田知義ほか監修『教育の原理と課題』昭和堂、藤田英典『教育改革』岩波新書、天野郁夫編『教育への問い』東大出版会、の3冊である(4/13)

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非常に残念なことであるが、不審者や変質者が増加するにつれ、学校も防衛に努めている今日この頃である。早大の経済評論家にしてエコノミストU教授もビックリである。これだけ事件の報道が毎日のようにつづくと、なにか抜本的な手を打たなくてはならないと、頭を抱えている学校も多いにちがいない。そうした中で、讀賣新聞は、ためになる取り組みを伝えている。ひとつは「スクールサポーター隊」である。この金沢市の取り組みは、地域の教育力として、高齢者にお願いし、児童の登下校を保護するものである。また、婦中町の「学校安全ボランティア」も同様の趣旨から結成された。とりわけ「こども安全たん犬隊」はおもしろい。おもしろい、と評価すると、真剣に取り組んでおられるのに失礼だが、犬の散歩時、ロープに不審者通報のステッカー「こども安全たん犬隊」を付けるそうである。アイフル犬の散歩ロープにも付けるのであろうか。三沢市では、校門の横に警備ボックスも設置した。松原市でも置いているようである。多彩な取り組みが行なわれること自体、治安が悪化している社会世相を表現している。しかし、「不審者」狩りにならないかも不安である。変な格好で日中ふらついている人なら誰でも不審者なのか。そうだとすれば、ワタクシもある意味、「不審者」に妥当するかもしれない。なんだか住みにくい世の中になってきた。相互監視の世の中は、政府の望む「新しい『公共』」の力によって、よい方向に変化していくのであろうか、それともその実現は国民の側から批判されるにとどまるのであろうか大阪府の願書に、エントリーシートなるものが課されました。これについても「定期勉強会」の一貫として検討会を開催したいと思っています。みなさまのご参加を願っております。本日も、短文で失礼します(4/12)

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