日々旁午

2006


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ちょこっと更新 in 新幹線(岡山から)

 山陽新幹線は姫路を越えた辺りからトンネルが多くなり、利用しているエアエッジ通信が途絶える。相生を越えると広島まで断続的な状況がひどくなる。したがってメールの受信も途中でぷっつり切れると「やり直し」になるので、何度も同じメールを受信する結果となる。なぜなら、一度切断されるとサーバーの方でメール保護機能が働き、メールはそのまま保存され、次回の受信時に再送信してくるからである。「ネットサーフ」もイライラする。トンネルごとに、リンク先が開かなくなるからである。

 こうした不自由な中で、しかし、移動中にも何とか通信がつながる状況を喜ぶべきか。

 で、これ。中永広樹氏が焦っている。教育現場では、市販問題集をそのまま切り貼りしてテスト化するケースがあるが、それがアダとなった模様である。

 (広島教採対策学習会を終えて)

 なんとか無事に、広教組主宰教採対策学習会を終えることができました。みなさま熱心にお聞きくださりありがとうございました。何名かの方からご質問いただきましたが、それにちゃんと答えられていたか心配です。今年度採用試験における時事系問題のツボは、やはり「義務教育創造答申」です。今回、記述・引用に重複を厭わず解説したのはそのためです。とりわけみなさんにおかれましては、レジュメの「(解説)」以降を重点的に復習されてください。なお、その他の重要答申は、大阪における当サイト主宰学習会の「ご案内のページ」に一覧がありますので、ご参照お願いいたします。また、昨年、一昨年の広島教採論述対応型予想問題レジュメがありますので、本日お渡ししたレジュメをご覧になって、お申し込みください。先ほど広島でも申し上げましたが、「初等中等教育における当面の教育課程及び指導の充実・改善方策についての関連問題」、「教養教育」、「環境教育」、「生涯教育」、「安全教育」、「教育の創造と再生」、「男女共同参画基本計画と教育」など、ほとんどのトピックが揃っています。

 16:10発の「こだま」に乗っています。ただいま新倉敷を過ぎたところです。トンネルが多いので、帰りも通信が途切れ途切れです。岡山乗り換えで「ひかり」で帰るといたします。
(5/20)

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気がつけば、3日も更新していませんでした。毎日閲覧に来られた方、失礼いたしました。更新はサイトの命ですから、力を入れていきますので今後もよろしくお願いいたします。といいながら、明日は更新できるかどうか不安です。広島におきまして教採の講義をし、その後、大阪は難波で会合があり、日曜日は勉強会だからです。いつもPCを持ち歩いているワタクシですが、ちっと自信がありません。

 あすは、上のように、広島県教職員組合主宰の広島県教員採用試験対策学習会が開催されます。ご参加のみなさま、よろしくお願いいたします。広教組の先生方、お世話になります。今回は広島1次予想問題となります。中心は義務教育創造答申です。きめ細かく解説いたしますので、じっくりお聞きになることを期待しております。

 あさっては、当サイト主宰勉強会の開催日となります。ご参加のみなさま、よろしくお願いいたします。今回から、資料検討が終了しましたので、個人面接をいたします。奮って挑戦してくださいね。なお、資料検討は、新規の参加者を交えながら「水曜会」で代表的な資料を再考しましょう。大阪歴史文化問題の報告は、ワタクシです。大阪の教育についてごく簡単に10枚用意しました。100円玉持って集合してくださいね。お願いいたします。なお、大阪以外の自治体を受験される方は不必要ですが、少しの時間お付き合いください。
(5/19)

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きょうは、日本教育法制史における歴史的転換期の初日である。

 いうまでもなく、教育基本法の改正案が国会審議に付された日だからである。残り少ない会期であるにもかかわらず、衆院議院運営委員会理事会が政府提出の教育基本法改正案について、衆院本会議で趣旨説明と質疑を行なうことを決めてしまった。この罪は重い。

 国民的な議論を尽くさず、あまたの教育学者の警鐘にも耳を塞いで改正案を提出した強引な政府の姿勢は、非難されて然るべきである。

 60年にわたってその硬性を保ってきた教育基本法である。時代に見合った法に改正されるならいいが、そうでもなく、与野党ともに内部で議論が割れている事態をみても、それぞれの改正案は拙速である。教育基本法を改正して、学校教育が正常化し、児童生徒の非倫理的行為行動がなくなると改正論者は本気で考えているのだろうか。

 民主党の改正案に対し、安倍氏が「『政局的な意図が込められているのではないか』との見方」(『朝日新聞』5月16日付け)を示したり、「民主党の小沢代表と新進党時代にともに活動した幹部」が、「小沢さんは政策を政局の道具にする人。自民党内には『なぜ愛国の心を明記してはいけないのか』という人も少なくない。民主案に乗った方がいいという声が出てくるのではないか」(『同上』)と懸念を表明したり、「政府案を『不十分だ』と批判してきた自民党議員の中からは、早くも『公明党が反対しても民主党案が多数になればよい。政府案の修正になるのではないか』と期待」(『同上』)したり、改正をめぐって錯綜した展開になっているのである。各政党内部でも意見集約がなされたとはいえない。

 教育法制が政局の道具であってはならないのは指摘するまでもなく、また、国家百年の大計である教育の「基本法」を、短時日で成立させようとするのは馬鹿というほかない。

 こうした改正が、しずしずと国会で議論されることに危険を感じる。

 法の支配は、法そのものの理念が歴史や現実に照らしあわされて正当なものである場合に貫徹されるべきである。だからワタクシたちは「法の支配」を受け入れる。だが、そうではない単なる多数決支配は、アゴラで否定さるべきである。

 よいものはよい。そう考えるべきである。アメリカでトヨタの車が売れるのはアメリカがそれをよいと認めたからである。そこに生産国で差別する発想はない。どこの国のものであれ、いいものはいい。

 日本国憲法も改正の危機にある。押し付けとかなんたらとかよくいわれるが、アメリカが作ったものであっても、日本国憲法がよいものであるなら、よいのである。世界に戦争放棄を規定した憲法などないのだから、世界に誇れる憲法である。わざわざ改正して他国にケンカを売る姿勢をみせなくてもいいではないか。

 教育基本法もよいものであるから、改正の必要を認めなくてよい。だから、改正論者は、基本法の悪いところを国民がげんなりするくらい主張しなければならない。そして、とりわけ、「教育基本法を改正して、学校教育が正常化し、児童生徒の非倫理的行為行動がなくなる」根拠を理論的に説明しなければならない。

 拙速主義は改めよ。
(5/16)

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第77回勉強会における集団討論の模様をお伝えします。今回の討論テーマは、「担任していない学級の児童生徒に注意する(指導する)とき、どのようなことに留意すべきか」でした。このテーマに対し、6名の方(仮にA〜Fさんとします)に25分間、熱く議論していただきました。

 討論の最初に、まず挨拶がありました。これは一人ひとりがする「挨拶」ではなくって、「よろしくお願いします」の掛け声的挨拶です。やはり、いまから知らないもの同士が議論しようというのですから、礼儀として必要ですね。これがあるナシでは、討論のスムーズさに関わってくるものです。この挨拶につづき、Cさんからイロイロ意見を出し合いましょうとの発言があり、これを受けてBさんが切り出されました。

 Bさんは、このテーマから、学校の組織的な側面を強調されました。つまり、担任していない学級の児童生徒といえど、指導すべきことを指導せず、「みてみぬふり」をすれば、場合によってはトラブルになるといわれます。指導すべきときに指導しないと、その状況をみていた児童生徒が家庭において「先生がいたのになんも注意せんかった」となれば、保護者も不思議に思うし、そうなれば、学校の信頼が損なわれる、ということです。担任でないとしても、学校の組織としての信頼を守る意識を私たち教員が持つべきであるということですね。

 Dさんも、担任でないからといって、なにもいわないのは問題であり、指導すべきことがあった場合、それをするのが大切である、だから、つねに声を掛けられるよう自覚しておかなくてはならないと述べられました。Aさんも上の2者に同意され、それに付け加えて、叱った後のフォローをどうするかということを述べられました。つまり、ある事情で叱ったとして、どうして担任でないのに叱ったのか説明する、叱った後、その児童生徒の担任へ報告すること、場合によっては保護者へも報告する、というように、です。Cさんは、担任でなくても注意すべきはできるように、「この子はこんな子」というように児童生徒観察をしておき、名前の把握もしたいといわれ、職員会議でも報告するのが必要であろうとご意見されました。その結果、一人ひとりの児童生徒を見つめる目が養われることを期待されています。Fさんは、Dさんのご意見を受け継ぎつつ、声を掛けやすい雰囲気つくりが大切であり、声掛けの初歩として、挨拶を交すのが重要であると指摘されました。これはもっともなご意見であり、その際、一人ひとりの顔をみるのが、これまた重要であると付け加えられました。

 Eさんも、挨拶はコミュニケーションの第一歩とのご認識をお持ちです。担任でない自分自身を児童生徒によく知られるようにするには、自分を伝えるチャンスを積極的に設けるべきであり、たとえば校門指導で挨拶をこちらから掛けるといいと述べられました。そうした能動的活力的な教員の行動は、今年講師として1年目のEさん自身の経験に裏打ちされた具体的指導のようです。Dさんは、こうしたEさんのご意見にうなづきつつ、「あいつ誰なん」と生徒にいわれた経験を報告されました。ひとつの高校内であっても、担任でなく、また、教科も担当していなければ、まったく知らない生徒がでてくる。そうした状況にモロに出会ったわけで、Dさんは、まず「私が教員である」ということをさまざまな機会を通して周知させなければならないと実感込めて述べられました。

 Bさんは、だからこそ挨拶を励行することは重要で、教員と児童生徒間の人間関係、信頼関係を形成していくのであると指摘されました。Cさんは、挨拶に加えてなにかプラス一言を心掛けていらっしゃるようです。Aさんも挨拶の励行は社会でもそうであると述べつつ、学校では、教科指導3割、生徒指導7割の意気込みでとりかかりたいと抱負を語られました。Fさんからは、Cさんのプラス一言に関連し、生徒の変化に気が付く一言を添えるといいかもしれないと提案されます。「私のことみてくれているねんな」という意識が児童生徒に生まれれば、成功だし、自分が忘れられている存在ではないと児童生徒が自覚し、そこから自尊感情も芽生えるのではないかとご意見されました。Cさんも、このFさんのご意見を受け、担任だけでなく、一人ひとりをクラスの全員がみているという雰囲気つくりが大切だとされ、さらに、休み時間など、児童生徒と一緒に遊ぶときに、他クラスの児童生徒も一緒に遊べば、テーマの担任外児童生徒にも注意できるようになっていくと方法を提示されました。

 ここでDさんから、それでは担任(担当)外児童生徒にどのように注意するべきか、注意の方法に何かあるかということで話題を転換されました。Dさんは、担当外生徒に注意して、生徒に胸ぐらをつかまれた経験もあったそうです。Cさんは、これに対し、日頃からの信頼形成に問題は帰着するとし、普段からの人間関係の形成を強調されます。Bさんからは、担任と同じ調子で叱ると、「あの先生なんやねん」となるから、そこは考えなければならないと指摘がありました。Dさんの「胸ぐら」問題に慎重に応答したわけです。Aさんも、「胸ぐら」問題に関し、結局は信頼関係の構築がその解決策だと考えられているようです。

 この「胸ぐら」問題に関連し、Cさんから、最近はいわゆる「キレやすい子」が多くなっている。カッとなっている場合は、ガツンと叱らない配慮が必要で、落ち着いて話を聞ける状態に児童生徒を着陸させないといけないと考えられています。Fさんは、叱り方の使い分け、と同内容のことを表現されています。だからこそ、Cさん曰く、どんな児童生徒であるか事前に知っておくことが重要で、職員室で情報交換を同僚とし入手することが教員に課されていると述べられました。

 これまで初回発言から沈黙を守ってきたEさんは、ここで、講師として学んだことを披露されます。ひとつは、注意する、叱る際、毅然とした態度で行なうこと、もうひとつ、なぜそれが悪い行為なのか、しっかり説明すること、であると。地べたに座っている児童生徒に注意した例を挙げられ、具体的にそのときの対処法をお話されました。4人に注意したそうですが、その内の2人は担任を持っている生徒、後の2人は担任外生徒。そうした4人に注意したわけで、非担任の生徒はブツブツいっていたそうですが、担任している2人が諌めて生徒同士で「やめとこ」となったそうです。効果的な例示でした。

 Eさんの「なぜそれが悪い行為なのか、しっかり説明すること」に関連し、Fさんから、クラブ指導において注意したとき、「1から10までいわないとわからない存在」として児童生徒を理解したといわれましたが、この発言は採点官にどうとられるか、ちょっと心配です。なぜなら、教育の可能性について深く信頼するのが教員だからです。

 ここでBさんが、テーマにかえり、留意事項として、教員同士の連携ということを発言されました。担任には担任の方針がある。その方針と異なった指導をしてしまうケースもある。だから、教員間の共通的な指導上の理解を深めておかなければならないということです。方針の違いは、教員の児童生徒に対する「線引き」の問題でもあります。学校の全先生方が、生徒指導の方針に一定の基調がなければ児童生徒の方でも混乱しますからね。Dさんも、同僚の先生方と生徒のことを話し合う機会を設けることを強調されています。これには、Aさんも、Fさんも同意されています。Aさんは、挨拶励行に関わって、たんに挨拶するだけでなく、名前を呼ぶ努力もしようとご意見されました。Cさんからは、教員の連携について、児童生徒の方でも、先生たちが連携をとっていることがわかるように教員の組織的姿勢をみせる必要を訴えられました。

 この後、Dさんから、担任外児童生徒に注意した後の関係修復の方法のご意見がでて、それにCさんが「いいところ」の発見に努めると返答され、Fさんは、注意すると落ち込む児童生徒もいるから、普段どおりに付き合っていくのがよいとの提案もありました。Bさんからは、フォローの機会がない場合には、担任にフォローを頼むこともあってよいと指摘されました。
 そして、最後にEさんから、クラス担任としてがんばっていると、それが評価され、担任外の児童生徒にも伝わるものであるといわれ、クラスの児童生徒から、クラス外の児童生徒へと評価が伝わるものであると述べられました。いい指摘です。

 さて、これで25分間が終了しました。テーマにしっかりと答えられた、聞いていて楽しい討論でした。教員は実のところ、担任している児童生徒の指導で精一杯ですが、外への視野をどのように考えているのか、というのがこのテーマの本質です。だから、学校を組織として捉える視点、教員間の連携の視点、が議論に登場していました。そして具体的にコミュニケーションをとる方策としての挨拶励行、児童生徒の名前を呼ぶということが語られました。このほか、大前提としての児童生徒と教員間の信頼関係の形成、一人ひとりの児童生徒をみつめるための情報交換と、話し合われるべきトピックが多数あって、25分間、議論が途切れることがありませんでしたね。話題の転換もうまくなされて、なかなかよろしい。集団討論ですから、相手の意見を尊重し、それをよく聞き、さらに意見を深めたり、付け加えたりしてる参加者のそれぞれの態度も傍聴者は見習うべき点でしょう。

 今回、程よく各参加者の発言回数が分散されました。短いやりとりが積み重なって、議論になっているな、と感じていました。本番でイニシアティブの取り合いにならないよう、しかし、ご自身の主張を忘れないよう、がんばらないといけません。聞く姿勢と冷静な自己主張、集団討論を乗り切る大きなポイントです。

 集団面接につきましては、かなりパーソナルな側面が語られますので、こちらにアップするのは差し控えます。集団面接では、これまた「譲るべきか、譲らないべきか」、状況判断が難しい場合があります。これも場数で慣れるよりほかありません。

 次回も研鑽を積みましょう。
(5/15)

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本日は、当サイト勉強会に多数ご参加いただきありがとうございました。4月初旬以来、常に満席で、一緒に勉強できてウレシク感じております。今回も初参加の方がお見えでした。いかがだったでしょうか。満席状態がつづき、なかなかお申し込みいただいてもご参加いただけない場合がありますが、キャンセルが出る可能性もありますので、よろしくお申し込みください。お待ちしております。

 本日は、まず、大阪歴史文化問題対策報告をいたしました。他都道府県受験の方に申し訳ありませんので、15分くらいでいつも切り上げております。今回報告担当のNさん、ありがとうございました。これで、大阪歴史文化対策問題のレポートが15枚になりました。勉強会にご参加のみなさんにはコピー代だけで提供いたしますので、いつでもお声掛けください。報告者の方、本当にありがとうございます。次回は担当者不在のため、ワタクシの方から、大阪の教育についてのペーパーをお渡しします。無論、コピー代だけでの提供になります。これは、分量が多くなります。すんません。いままで、大阪の歴史、人物、建物、商業、雑学系、芸能、とイロイロお調べいただき感謝しています。そして、みなさんで共有してよいと快く調べていただいたことを放出してくださり、ご参加のみなさまの心の広さに感服しております。

 次に、自己売り込みのツボを、Iさんにしていただきました。Iさん、お疲れさまでした。Iさんの人生経験の豊富さが伝わってきました。また、多様な資格をうまく売り込んでおられました。3分間、ゆっくりとご自身のことをほとんどなにも見ないで発表できたことは、大きな自信となるでしょう。みなさんからいただいたコメントを大切に、まとめたことを生かしてください。これをやっておくと、必ず、役に立ちますよ。次回、Dさん、がんばってください。やれば必ず自信をもって本番に挑めますよ。

 今回、資料を用意してくるのをうまくやったつもりが、数が足らず失礼しました。次回、持参いたしますのでよろしくお願いいたします。その資料は、「読書活動推進計画」でした。今回の勉強会におきまして、この「読書活動推進計画」資料の検討は終了しました。「読書センター」、「学習情報センター」など、聞かれそうなワードがありました。再度のご検討、期待しております。巻末の問題演習は、勉強会の最中にはやっておりませんね。しかし、それは時間的な問題からで、大変重要です。資料を全部持っていらっしゃる方は、予想問題を10数題持っていらっしゃるわけで、これを十分活用してください。それぞれの問題は、それぞれの資料(答申)の重要事項を振り返ることができるように作成されています。これを解くことによって、資料(答申)の再確認ができます。それぞれの資料(答申)の理解を深めるべく、十分活用されてください。

 今後は、こうした資料検討はちょっとお休みします。もう、あらかた出題されそうな資料は渉猟したからです。7月の頭には、予想問題を全国の過去問から精選し、みなさんと解きましょう。

 次回以降の勉強会は、集団討論と集団面接、それに自己売り込みと個人面接をやってまいります。個人面接は、今年度はじめての試みとなります。みなさんの挑戦をお待ちしております。次回の勉強会で詳細をお話いたします。

 本日の勉強会では、この後、集団討論と集団面接を実施いたしました。集団討論の模様は、次回の更新にアップいたします。
(5/14)

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あすは当サイト主宰第77回教育学勉強会を開催します。ご参加のみなさま、よろしくお願いいたします。例によって、教育答申資料検討、大阪歴史文化問題報告、自己売り込みのツボ、集団討論、集団面接を実施いたします。

 大阪歴史文化問題報告は、Mさん、ご報告お願いいたします。自己売り込みのツボは、Iさんよろしくお願いします。

 「水曜会」の実施内容をイロイロと考えております。基本的には週末に開催している勉強会と同じなのですが、個人面接をとりいれます。ただ、個人面接は、時間がかかりますし、対象がお一人ですから、参加者はそれを聞いているだけになりかねません。開催1回につき、3名くらいに限定し順番に実施していきましょうか。また、ご意見ください。それから、集団討論と集団面接は交互にするやもしれません。これも時間的な問題からです。

 7月に開催する「水曜会」では、今年度の教職教養の予想問題を演習しようと思っております。ワタクシの目からみて出題されそうな問題をみなさんと検討する会です。それゆえ、神戸市や京都、大阪を受験される場合にはいいのですけれど、兵庫県は問題が特殊ですから、「予想」とはなりません。

 最近、気温の変化があって、今日のような雨の日は冷えます。みなさま、風邪をひかれないよう、十分体調には気をつけられますように。
(5/13)

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前原民主党ならば、共謀罪についても「押し出し」を決まり手に、自民党がよろしくやっていただろう。そういう意味では、千葉補選でも勝利した手腕を持つ小沢氏の政治能力は高いといえる。

 小沢民主党に歩み寄る姿勢をみせた自民党は、共謀罪の適用対象について「『重大な犯罪を実行する団体』との表現を改め、テロ集団、暴力団などの『組織的な犯罪集団』に限定する」(『讀賣新聞』5月12日付け)としたのである。これで一般市民はちょっとだけ胸をなでおろすことになった。「ちょっと」というのは、共謀罪成立後、いつ改正されるか予断を許さないからである。小沢氏は、もう一歩踏み込んで、「現行刑法の適用で運用できる」と論戦に持ち込んでほしかった。

 もう一つ、小沢民主党の動きに、自公提出の教育基本法改正案に対抗する独自案を作ったことがある。これは、全文をみることがいまのところできないが、自公案を濁した程度のものだと思われる。なぜなら、『同上』(5月12日付け)にあるように、「焦点の『愛国心』については直接の表現を避け『国』という表現は用いず、前文に『日本を愛する心を涵養する』との表現を盛り込んだ」というに過ぎないからである。「国を愛する心」と「日本を愛する心」とどう違うのか、前文案を見比べただけでは、きっと理解できないのではないか。「国」か、「日本」か、どっちにしても「愛する」わけだし、そこにはナショナリズム高揚が意図されている。小沢氏も熱烈な愛国者だから、究極的な違いがあらわれないわけである。元文相の西岡氏も、元を辿れば自民党議員である。

 都市型野党民主党は、地方型与党自民党ともっと出色の異なる対案を出すべきだろう。それがそうでなく、こうした改正案を示したということは、都市の人びとの教育法令に関する政治的意見が、右傾化している証左である。すでに「都市型」という範疇分けの言葉が意味をなさなくなっているのであろう。普通、都市型といえば、ほぼ「左翼ジャーナリスト」を中核とした意見伝道管として機能する政党と理解できたのであるけれども、21世紀では、もうそうではない。

 大同小異で自民党も民主党もほとんど政策の差がなく、この2人が結婚でもすれば、日本の民主主義の発展にとってまったくよろしくない。都市は民主が覇権を握り、地方を自民が掌握し、その両者が手をつないで「チャーミーグリーン」でも踊りだせば、汚れた皿はキレイになるどころか、いつまでたっても積んだままの「洗い物」がシンクに溜まることになる。あらゆる償還が遅れる。

 そうした危惧をオルグの力にまで高めることのできる第3勢力がなく、フランスばりの民衆蜂起を起こす気骨が国民にほぼない現状、ワタクシたちは政治を傍観するほかないのであろうか。
(5/12)

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『毎日新聞』の社説における連載、「視点 格差社会考」は、同紙の第一人者的記者がそれぞれの視点から現代社会を斬っており、興味深い。

 ワタクシたち教育に関心のあるものにあっては、「政府がトップダウンで実施する科学技術政策も役に立つ研究を志向している。第3期科学技術基本計画は研究の『選択と集中』を掲げ、特定の科学技術への予算配分を高める。その影響で、研究者の自由な発想に基づく基礎研究が圧迫される恐れがある。大学の新陳代謝は必要だが、行き過ぎた競争原理やトップダウンで独創的な基礎研究が切り捨てられては困る。基礎体力のある大学だけでなく、地域に根ざした地方大学にもすぐれた研究の芽はあるはずだ」(『同上』4月17日付け)といった大学における基礎研究軽視について、切れ味ある物言いである。

 儲けに直結しない大学の基礎研究は、企業からのスポンサードはほぼ皆無だし、文科省からの補助金獲得にも常に難儀している。COEからもはずれる。工学部系統の研究開発費が企業からあった際に、基礎研究系統はそのおこぼれに与ろうとするのだけれども無視される結果となる。工学部系統にいわせれば、「うちがもらったんや、なんであんたにまわさなあかんねん」ということである。大学は、多様な企業から研究開発費をもらう。医学部における製薬会社からの寄付金、開発援助金などは、「白い巨塔」が伝えるところであった。それぞれの専門におカネを渡すわけで、価値ある=金儲けになる研究ではないと判断されやすいところには、お金は流れない。

 これにメスをいれる方法は、寄付金、研究開発費の窓口一本化である。学部や学科に捉われず、一括して窓口を設け、そこに流れ込んできたおカネを大学教授会でどう分割するか論議する。そして配分を決定するという方式である。こうすれば、いままで潤沢であった、あるいはあり過ぎた工学部系統のおカネが、基礎研究系統のところにいく。たとえ傾斜配分であっても、基礎研究系統は喜ぶに違いない。

 しかし、繰り返しになるが、こうした方式を工学部系統、医学部系統は嫌うから、実現しないだけである。同じ大学であっても、分け前をやるものか、という感覚である。まして、文学部や社会学部におカネがまわるわけがない。生産性がない学部に、カネはいらんという理屈である。

 大学の独立行政法人化に伴い、こうした姿勢は緩和されるのかと思えばそうではない。事態は一層悪くなっているようである。さすがは世界ではじめて工学部を誕生させた日本だけある。

 こうした大学内部の「格差」をテーマにする社説を『毎日新聞』が報道する一方、当然ながら生活者の「格差」をも問題視している。教育者も生活者である。生活保護の問題にも関心を持つべきであろう。そこでは、「不正受給の問題が注目されがちだが、保護を受けられる基準以下の収入でありながら受給せずに暮らしている人たちは、実際の受給者の2〜4倍はいるという研究者らの調査がある。生活保護を受けると世間にさげすまれるから抑制されているのも現実だろう」(『同上』5月9日付け)と、苦しい世帯が後ろ指を指されないよう質素な生活を守っている様子が描写されている。お父さんのおこづかいどころか、あすもみえない世帯が、400万世帯あるという現実である。

 資本主義社会の成立は、労資関係の定立を意味するが、そこにはハナから摩擦があることを経済学者は指摘してきた。そのバッハ回路をもとめて、道徳や共生などの理念が動員されてきた。福祉関係者は、階級闘争が内在されている資本主義の欠陥を、社会権の主張を認める立場から是正しようと四苦八苦してきた。だが、もう、ここにきて、年間3万人以上の自殺者を生んでも構わないと考える政府にがぶりよられたようである。ここにはいわゆる「七輪自殺」も含まれるのだろうが、それだけ現代版「ぼんやりした不安」があることを指し示しているといえる。

 イロイロな視点から格差社会を読み解こうとする『毎日新聞』のこのシリーズは、最近の『毎日新聞』の秀逸と評価できる。これで、別建て会計でその存続を建て直した毎日新聞社が、倒産の憂き目や身売りから自己を救い、一層社会の木鐸たる地位を固めることを極めて強く期待する。MSNに乗っ取られるな!毎日よ!
(5/11)

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