学習指導要領について

学習指導要領はなぜ必要か

               教員は、おおきくいって、三つの柱を仕事としてもつ。それは、学習指導・生徒指導・校務分掌である。
 学習指導は、簡単にいえば、国語、英語など時間割上の「各教科」を教えることであり、また、特別活動や「総合的な学習の時間」の指導も含まれる。生徒指導は、生徒理解を基礎に人間形成を支援する仕事である。生徒を理解する方法が、観察法であり、班ノートであり、あるいは心理学的な性格診断テストである。校務分掌は、進路指導に関すること、問題行動対応に関すること、保健に関すること、そのほか学習指導、生徒指導以外に、学校教育を円滑に運営するために学校教職員が分担して受け持つ仕事の総称といっていい。

 こうした学習指導・生徒指導・校務分掌を手際よく実現し、児童生徒の人間形成に資するためには、それ相応の計画が練られなければならない。この計画のことを教育課程(=カリキュラム)というわけである。そして、教育課程を「作る」、すなわち「編成する」一般的な基準や方針が学習指導要領に記載されているのである。そうした意味では、学習指導要領は、教員にとって、悩んだとき、疑問に感じたときに常に立ち返る道しるべといえよう。

 ワタクシたちのなすべき仕事は、公教育である限り、各法令(法律と命令)にしたがって行なわれなければならない。すなわち、教育基本法改正教育基本法)、学校教育法など基盤的法律の理念の下、学校教育法施行令、学校教育法施行規則学校図書館法学校保健法そのほか、個別的な教育法規がなすべき仕事を指示する。これらの法規をみれば、学校に教員が最低何人必要だとか、学校を作るときには運動場は必ずいるとか、法令でしっかりと定められるものもある。教員それぞれがなすべき仕事は、各法令とりわけ教職員に関する法規としての地方公務員法教育公務員特例法にしたがって行なわれなければならない。しかし、実のところをいえば、学習指導の内容は法令で定めるというような性格ではない。というより、「何を教えるべきなのか」の基準は、そう簡単には示せない。なぜなら、それは時代によって教える内容が変化するという理由からだけでなく、教育内容の自由に関係するからである。

 教育内容を国家が画一的なものにしようとすれば、統制的という批判も出るだろう。また、たとえば、学校ごとにちがった教育内容が取り扱われても、それを学校の個性=創意工夫として認める方がいいのではないか、というような意見も出てくるであろう。「特色ある学校づくり」とは、そういうことではないのだろうか。とり扱う教育内容は、その多くを各学校の判断に任せるべきだというのが、平成10年版新要領の精神である。この精神は、今後、教育の地方分権および市場原理に基づく学校制度の改変が進むにつれ、一層生かされていくであろう。

 しかし、教育の目的は、あらゆる機会に、あらゆる場所において実現されるべきであり、教育は機会均等に与えられなければならないという観点からは、日本国内どこに住んでいても、ある程度共通した内容が教えられるべきだし、その内容も児童生徒の発達段階を無視して構成されるなら、公教育は成立しない。かつ、教育の内容は、政治的にも宗教的にも中立を保たなければならない。とすると、やむを得ず、何らかの「教えるべき基準」を定める必要性がでてくる。昭和33年以降も、最高裁はそうした判決(昭和51年5月21日・・・旭川学力テスト裁判最高裁大法廷判決、ここで「大綱的基準」という表現を使用)を明示した。

 要するに、定義的な表現をするならば、「学習指導要領は、教育内容をどのようなものにするか、それを教育課程の各領域に則して大綱的に国が示したもの」となる。

 ところで、後述する「告示」学習指導要領の登場によって、要領の指示を守り、要領にしたがわないと罰せられるのだろうか? このことについては、日の丸・君が代問題を震源とし、深刻な様相をみせている。

 この件に関し、ここで、ワタクシの基本的立場を明示しておく。ワタクシは、学習指導要領が法律であるなどとはさらさら思っていない。正当な選挙で選ばれた代表で構成される議会の厳密な手続きを経て成立するのが法律であって、そうした手続きを経て成立したのであれば、「要領」を法律と認める。しかし、実際は、文部省が告示しただけで、それを学校教育法施行規則(25条、54条の2、57条の2)が後押ししているだけである。施行規則は省令であって、法律ではない。行政的手法をもって、ごり押し的に「法的拘束力」をもつといっているだけである。上の最高裁判決も、実は、誤った司法判断というべきであろう。総じて昭和33(1958)年の改訂は、政府による「一つの動かすことのできない道」(昭和22年版学習指導要領における表現)的教育内容統制への方向を示唆した第一歩であるといえるかもしれない。

 しかし、教員採用選考試験を受けるものは、ワタクシと立場を同じくしないほうが賢明である。こんなことを真正面からいうと落とされる。東京都など、そういう意味では悲惨な結果になるから絶対やめなさい。無難な道を歩きなさい。こうした神経質な問題一般については、「教員になって、初任者研修を終えたあとで」考えなさい。と、こういわなければならないところに、教採試験の踏み絵的な要素が確認されるわけで、極めて悲しい事態ではある。さらには、合格してからも、教員が地方公務員であるという立場が、憲法で思想・信条の自由を保障されながらも、法遵守と自己の思想的立場とのせめぎあいを常に意識させることになる。教員生活にピリオドを打つまで、この緊張関係の中に支配されるのである。早期退職の教員が増えている理由の一端は、こうしたところにある。そして、教員の組合に所属する教員は、こうした十字架を切に意識し運動に取り組んでおり、自己が権力装置の一部でありながら、権力から独立を願う複雑な位置を甘受しなければならないのである。

 さて、本来、中央、地方にかかわらず、教育行政は、校地を用意したり、校舎を整備したり、校具を充実したり、教育の外的事項の整備に力を入れるはずであるのに、教育を国民統合の手段とみて、「何を教えるべきなのか」という教育の内容にまで露骨に干渉してきている。そうした現状にある。教育内容に対する行政介入=教育の内的事項への干渉、これが学習指導要領の実態であるといえよう。

 この介入が日常の教育活動に貫徹し、もしも、全国画一的に「何を教えるべきなのか」が決められるとすれば、先にも述べたように、教育が思想統制になりかねない。それは、第2次大戦下の超国家主義的教育を検証してみれば容易にわかる。「皇国民の錬成」のスローガンが、自由な意見の表明を封殺する結果をもたらしたのは、周知の事実であろう。教育にはこのような負の側面が必ずつきまとう。教育という文化財は、扱い方次第で、社会そのものをよい方向にも悪い方向にも導いてしまう機能をもつものなのである。ただ、国民の教養を一定水準に高め、維持する仕事が国家には課せられているのは紛れもない。それゆえ、「何を教えるべきなのか」という教育の内容を「誰か」が計画・決定しなければ、ことは進まない。こうしたアンビバレントな教育に対する要求に、いかに折り合いをつければよいのであろうか。

 国民の教養を一定水準に高め、維持するため、各学校が教育課程を作りあげる。だがその編成は、そう簡単なことではない。戦後50年余をかけ試行錯誤された結果、現在、学習指導要領に見られるような教育課程の「基準」がまがりなりにもできあがったのであって、それを参考書的に参照するのはいいであろう。それゆえ上に示したような批判の一端がありつつも、この文書は全国的に教育内容の水準を維持する役割をもっていると認知されているわけである。また、この「基準」という言葉は、権威めいた響きを持つが、現在にいたるまで、適確な「基準」を示そうと、さまざまな議論が交されている。したがって、以下では、歴史的に学習指導要領を検討し、最後にまとめとして、現行の指導要領の構造を確認したい。

さまざまな教育課程カリキュラム


        もともと組織だってある集団が勉強をしようとする場合には、なにがしかのプログラムを必要とする。西洋では、多様なカリキュラムを生み出してきた。それは古代ローマに遡る。そこではごくエレメンタリーな教育課程カリキュラムが組まれていた。それは三学、四科と名付けられ、中世のキリスト教が支配する社会に受け継がれた。聖書を読むためのラテン語の文法、文章の書き方として修辞学、哲学的な思考を高め、議論を活発にせんがための弁証法、神を称える復活祭の日を設定するのに算術、自然科学の初歩として幾何学、キリスト教公認宇宙像を補強する天文学、音階を理論的に研究する音楽というように、中世では僧侶の修めるべき科目として整頓され、教育課程の雛型がおのずとできあがった。それが、ルネッサンスと大学の誕生をへて、カリキュラムとして整備されたのである。ヨーロッパのそうした伝統を新興国アメリカが引き継ぐのはいうまでもない。

 アメリカの19世紀末には、「教科カリキュラム」という教育課程が提起された。これは、従来の読み、書き、聖書の科目に、地理や歴史、音楽、体育などの諸教科を加え、整理統合した教育課程である。このように多数の教科から構成されたこのカリキュラムが、現代に直接する教育課程の原型といえよう。「教科カリキュラム」は、伝統的な知識・技能の学問体系にそって科目を細分化し、体系的知識の伝達を主たる目的とする。そのため、生徒がどの程度内容を理解しているか、学習到達度が重視される。だから、子どもの興味や関心に対する配慮は薄いといわなければならない。いかに子どもに知識を授けるかという発想からは、独自性を尊重する教育思想は生じにくいといえる。では、子どもの立場に立った教育とは何か。

 それがいわゆる自由教育、新教育と名付けられる教育である。アメリカでは、20世紀にはいって、シェルドンやパーカーの教育運動を先駆けとしつつ、デューイを中核とする新教育運動がさかんとなった。そこでは、19世紀的なカリキュラムが反省された。知識体系の伝達を重視したカリキュラムにかわって登場したのが、「経験カリキュラム」という教育課程である。一言でいえば、知識注入学習から問題解決学習へとスタイルが変更されたのであって、「経験カリキュラム」は、問題⇒仮説⇒資料⇒検証、という教育段階を設けていた。子どもの経験や生活を教育課程編成の根本原理とする、児童中心のスタイルであった。こうした新教育の登場が、教育界の巨大な波であった。

 こうした児童中心のデューイ教育思想が、第2次世界大戦敗戦を契機に、わが日本に輸入されることとなった。それゆえ戦後すぐのカリキュラムは、デューイ流そのものであった。それが昭和22(1947)年、はじめて出された学習指導要領に反映されている。戦後の教育は、アメリカ教育の輸入であるが、それはすなわち民主主義的価値の流入といえる。このように解説すれば、戦後初期の日本の教育が、あたかもすべてアメリカの受け売りのようにみえる。しかし、敗戦日本の良識ある政治家や教育家は、それなりに超国家主義的戦前教育を批判し、アメリカに学びつつ、自前の教育システムを形成しようとしていたのである。このことについては「第6次改訂学習指導要領の構造」というところで確認したい。

最初の学習指導要領


 さて、昭和22(1947)年、はじめて出された学習指導要領は、表紙にあるように、試案という性格をもったものである(51年版も同じ位置付けである)。この「学習指導要領」という文書そのものの名前は、コース・オブ・スタディの訳語としてつけられたものであり、教育基本法や学校教育法が公布されるに先立って刊行されたものである。

 引用が長くなるのをお詫びしつつも、粘り強く読んでいただきたい。なぜなら、この最初の学習指導要領が現在の指導要領の意味を考える上で、大切だからにほかならないからである。

一 なぜこの書はつくられたか

 いまわが国の教育はこれまでとちがった方向にむかって進んでいる。 この方向がどんな方向をとり、どんなふうのあらわれを見せているかということは、もはやだれの胸にもそれと感ぜられていることと思う。このようなあらわれのうちでいちばんたいせつだと思われることは、これまでとかく上の方からきめて与えられたことを、どこまでもそのとおりに実行するといった画一的な傾きのあつたのが、こんどはむしろ下の方からみんなの力で、いろいろと、作りあげて行くようになって来たということである。
 これまでの教育では、その内容を中央できめると、それをどんなところでも、どんな児童にも一様にあてはめて行こうとした。だからどうしてもいわゆる画一的になって、教育の実際の場での創意や工夫がなされる余地がなかった。このようなことは、教育の実際にいろいろな不合理をもたらし、教育の生気をそぐようなことになつた。たとえば、四月のはじめには、どこでも桜の花のことをおしえるようにきめられたために、あるところでは花はとっくに散ってしまったのに、それをおしえなければならないし、あるところではまだつぼみのかたい桜の木をながめながら花のことをおしえなくてはならない、といったようなことさえあった。また都会の児童も、山の中の児童も、そのまわりの状態のちがいなどにおかまいなく同じことを教えられるといった不合理なこともあった。しかもそのようなやり方は、教育の現場で指導にあたる教師の立場を、機械的なものにしてしまって、自分の創意や工夫の力を失わせ、ために教育に生き生きした動きを少なくするようなことになり、時には教師の考えを、あてがわれたことを型どおりにおしえておけばよい、といった気持におとしいれ、ほんとうに生きた指導をしようとする心持を失わせるようなこともあつたのである。
 もちろん教育に一定の目標があることは事実である。また一つの骨組みに従って行くことを要求されていることも事実である。しかしそういう目標に達するためには、その骨組みに従いながらも、その地域の社会の特性や、学校の施設の実情や、さらに児童の特性に応じて、それぞれの現場でそれらの事情にぴったりした内容を考え、その方法を工夫してこそよく行くのであって、ただあてがわれた型のとおりにやるのでは、かえって目的を達するに遠くなるのである。またそういう工夫があってこそ、生きた教師の働きが求められるのであって、型のとおりにやるのなら教師は機械にすぎない。そのために熱意が失われがちになるのは当然といわなければならない。これからの教育が、ほんとうに民主的な国民を育てあげて行こうとするならば、まずこのような点から改められなくてはなるまい。このために、直接に児童に接してその育成の任に当たる教師は、よくそれぞれの地域の社会の特性を見てとり、児童を知つて、たえず教育の内容についても、方法についても工夫をこらして、これを適切なものにして、教育の目的を達するように努めなくてはなるまい。まこの祖国の新しい出発に際して教育の負っている責任の重大であることは、いやしくも、教育者たるものの、だれもが痛感しているところである。われわれは児童を愛し、社会を愛し、国を愛し、そしてりっぱな国民をそだてあげ、世界の文化の発展につくそうとする望みを胸において、あらんかぎりの努力をさゝげなくてはならない。そのためにまずわれわれの教壇生活をこのようにして充実し、われわれの力で日本の教育をりっぱなものにして行くことがなによりたいせつなのではないだろうか。
 この書は、学習の指導について述べるのが目的であるが、これまでの教師用書のように、一つの動かすことのできない道をきめて、それを示そうとするような目的でつくられたものではない。新しく児童の要求と社会の要求とに応じて生まれた教科課程をどんなふうにして生かしていくかを教師自身が自分で研究して行く手びきとして書かれたものである。しかし、新しい学年のために短い時間で編集を進めなければならなかったため、すべてについて十分意を尽くすことができなかったし、教師各位の意見をまとめることもできなかった。ただこの編集のために作られた委員会の意見と、一部分の実際家の意見によって、とりいそぎまとめられたものである。この書を読まれる人々は、これが全くの試みとして作られたことを念頭におかれ、今後完全なものをつくるために、続々と意見を寄せられて、その完成に協力されることを切に望むものである。

 ここに陳述された、教育に対する熱い思いを再確認し、ワタクシたちは、文部省と教員個々人の健全な協力体制を原点とするべきではないか。「この書は、学習の指導についてのべるのが目的であるが、これまでの教師用書のように、一つの動かすことのできない道をきめて、それを示そうとするような目的でつくられたものではない」のである。すなわち一つの価値観を子どもたちに植えつけるような方針をとらない、と宣言しているのである。「各位の協力によって将来健康に成長することを確信して、この書をお手もとにとゞけ」たのにもかかわらず、こうした戦後すぐの健全で新鮮な教育に向けてのまなざしが、ワタクシたちを規制する「法的拘束力」を持つようになった。昭和33(1958)年のことである(基準説、大綱的基準説、指導・助言説という3つの法的拘束性の判例的立場がある)。

学習指導要領の変遷(1)

上に示したような書き出しを持つ昭和22(1947)年の学習指導要領の特色は、戦後の教育改革の一環として、戦時下の教育思潮を払拭、児童中心主義、経験主義=デューイの教育思想、社会科の設置、家庭科の設置、中学校に職業科を設置、小学校4年以上に自由研究を設置、というところにあった。

 昭和22年以降33年までのカリキュラムは、こどもの経験や生活を教育課程編成の根本原理とする、児童中心のスタイルであったが、学習内容の系統化が困難であり、それに加え、「経験カリキュラム」による教育実践が、学力低下を招いているとの批判を受け、多くの学校では、教科カリキュラムの形態に戻る傾向が顕著であった。デューイのもたらした経験カリキュラムが、児童生徒の生活経験を題材にし、個々の生活の中から課題を自らの力で見出そうとするかぎり、児童生徒が問題意識を共有するのは難しい。すなわち、学問の世界を上部に持つ数学や理科などの科目では、教えるべき、教わるべき価値内容は等しく児童生徒に示され、一定程度問題意識が共有されることを期待する。そこでは、経験=個人のバラバラな経験を課題化するやり方を持ってしては、授業実践できないであろう。

 昭和33年の学習指導要領は、系統立ったカリキュラムを採用する方向に水路付けられ、その特色は経験主義や単元学習に頼りすぎる傾向の批判、教科内容の系統性を重視し、科学技術教育の一層の充実を教育現場に要求している。そして、社会科の中に閉じ込められたままでは、道徳教育は機能しないとその限界を理由に、「道徳の時間」を特設した。33年版は10月に改訂されたが、その最大の特徴は、8月に学校教育法施行規則を一部改正し、学習指導要領は教育課程の基準として文部大臣が公示するものとし、法的拘束力を持つと解釈されたというところにある。この法的拘束力が、上でも述べたように、教員を苦しい立場に追い込んでいるわけである。なぜ、「法」といわず、「法的拘束力」といわなければならないのか、21世紀においても、再考に値する教育思想的課題である。

さてそこで、もう一度批判の矢面にたった教科カリキュラムをハイタレント育成の観点から捉え直し、教育課程改造を提案したのがブルーナー(1915〜)というアメリカの教育学者であった。ブルーナーに教えられ、1960年代、どの教科も、知的性格をそのまま保って、発達のどの段階のこどもにも効果的に教えることができるという立場から、学問中心に教育課程編成が試みられたのである。すなわち、学問的論理にしたがい系統的に編成された授業を通じて、子どもは教育内容を修得できるという教育課程の採用であった。しかも、修得した内容を前提に、子どもが次の学習段階に誘い込まれるような構造をこのカリキュラムは用意していた。これを「学問中心カリキュラム」という。

このカリキュラムの発想は、教育とは、子どもの発達に追随するものではなく、発達を先導し促すものという考え方にのっとっている。一言でいえば、教育心理学、発達心理学の無視である。カリキュラムに乗れば、子どもは学問の構造をつぎつぎと修得できると期待され、その結果、個々の子どもは探究心と思考力が鍛えられるとする。問題を解決しようとする児童生徒の姿勢がオートマチックに編成されて自己運転し、さらに学習上の発見を導くというわけである。なんともオプティミスティクな思考といわざるを得ない。いわゆる「教育課程の現代化」がすすめられ、算数・数学に、集合、関数、確率などの現代数学の基本概念が導入され、科学技術を支える高度な知識を導入しようとした昭和43年の学習指導要領は、こうしたブルーナーの理論に裏付けられていた。発見が発見を呼ぶなら、むつかしいものへ、さらにむつかしいものへ進んでいくことができるとの理屈である。

だが、「学問中心カリキュラム」は、そうよい点ばかりではなかった。授業についていけないこどもはどうなるのか。ここに「落ちこぼれ」の「問題」がでてきたのである。こどもの教育的要求と興味・関心をクローズアップする教育方法が再度主張され、生徒の内発的な意欲、学習の動機付けを尊重するようになり、「人間中心カリキュラム」が検討されるにいたる。学問的知識の注入を重視したブルーナー的教育は後ろに下がり、子どもの主体的な学習意欲に訴えるカリキュラム編成を教育界は求めたのであった。時代は1970年代であった。これは昭和52年の学習指導要領に反映される。つまり「教育課程の現代化」は批判され、「ゆとりと充実」を合言葉に指導要領は改訂を受ける。ゆとりを生み出そうと、各教科の標準授業時間数を1割削減した事実が、文部省の教育政策の方向転換を物語っている。

80年代には、再び「人間中心カリキュラム」に対する反動が起こる。平成元(1989)年の学習指導要領は、巧妙に「学問中心カリキュラム」に塗り替えた教育課程を示していた。いや、実態はもっと悪いかもしれない。というのは、個性尊重の名の下に、教育の多様化を語り、「その能力に応じてひとしく」が都合よく解釈され、できる子にはむつかしいカリキュラムを、できない子にはそれ相当のカリキュラムを、ということを可能にさせたからである。もう少しいい換えよう。元年版学習指導要領では、具体的な活動や体験を通して自らの生活について考えるため、小学校1・2年生に生活科を新設したこと、道徳性を育成するため、中学校で、人間としての生き方について自覚を深めるよう道徳的実践に配慮したことなどを含んではいるが、「個性を生かす教育の充実」という美名の下に、戦後の「平等」という価値を振り払い、「できる子はさらに伸ばす、できない子はそれなりに補習する」という方向性から、個別指導を導入した学力重視のカリキュラムが提起されたのである。

 そしてまたその反動として、2000年を迎え、πが3になり、教育内容3割削減を掛け声に、新しい教育課程=カリキュラムが提唱されてきているのである。いわゆる教育界の2002年問題といわれる危機をもたらしつつ、現在に至っている。

学習指導要領の変遷(2)


         上で述べた変遷を、一覧表的に示しておこう。

@.昭和22(1947)年3月20日「学習指導要領一般編(試案)」「各教科編(試案)」登場。小・中は22年高校は23年に実施される。

GHQの戦前教育体制の解体を引き継ぎ、戦後の教育改革の一環として、戦時下の軍国主義的、超国家主義的な教育思潮を払拭しようとする。
修身科が廃止される。修身にかわって道徳教育は、社会科の設置にしたがい、この教科の中で伝えていこうとする。
全体的に、児童中心主義、経験主義の教育思想にのっとっている。
そのほか、家庭科の設置や中学校に職業科を設置、小学校4年以上に自由研究を設置するという教育課程である。
試案という位置付けである。

A.昭和26(1951)年・第1次改訂、小中高ともに26年に実施される。

22年版とかわることなく、試案という位置付け。
自由研究は、小学校では「教科以外の活動」、中学校では「特別教育活動」となった。
このころまでは、健全な雰囲気を保った学習指導要領である。

B.昭和33(1958)年・第2次改訂、10月1日に小・中学校は改訂され、小は36年実施される。中は37年の実施。高校は昭和35(1960)年10月15日改訂され、38年に実施。

経験主義や単元学習に頼りすぎる傾向が批判され、教科内容の系統性を重視する在り方に転換した。技術立国へ向けての教育への要請といえる。系統的ということは筋道だてて考えるということで、それは、科学的思考の養成を重視するということである。
道徳教育の一層の充実をはかる。とくに、「道徳の時間」を特設する。小・中学校における「道徳の時間」設置と連動するかのように、高校においても「倫理社会」を必修科目としての設置する。
33年版は、10月に改訂されたが、8月に学校教育法施行規則を一部改正し、学習指導要領は教育課程の基準として文部大臣が公示するものとし、法的拘束力をもつと解釈された。

C.昭和43(1968)年・第3次改訂、小は、7月11日に改訂され46年に実施。中は、昭和44(1969)年4月14日に改訂され、47年に実施される。高校は、昭和45(1970)年10月15日改訂され、48年に実施される。

いわゆる「教育課程の現代化」がキャッチフレーズとなった。算数・数学に、集合、関数、確率などの現代数学の基本概念が導入されたからである。高1から中1に配当しなおされた単元に、集合とその利用、不等式の意味と解、高3から中2に配当しなおされた単元に、確率・組合わせなどがある。三次関数や逆関数は、高1から中3に配当しなおされた。科学技術を支える高度な知識の導入といえる。これでは勉強についていけない生徒が出るのも無理はない。学校の荒れは忍び寄ってくる。
小・中では、特別教育活動と学校行事が統合され、特別活動となる。
つまるところ、非常にオプティミスティクなブルーナー的指導理念にもとづいている学習指導要領であったといっていい。

D.昭和52(1977)年・第4次改訂、小・中学校は、7月23日改訂され、小は、55年に実施される。中は、56年に実施される。高校の改訂は昭和53(1978)年8月30日、57年に実施された。

昭和43年版の特徴である「教育課程の現代化」批判の立場から、「ゆとりと充実」を合言葉に改訂される。
各教科の標準授業時間数を削減。
教育内容の1割削減。
教育内容を安易に減らし「落ちこぼし」対策をしようとする性格をもった学習指導要領である。学問中心から人間中心へ教育課程を転換するといわれたが、そういわなければならないほど従来のカリキュラムは人間的でない課程だったのか。

E.平成 元(1989)年3月15日・第5次改訂、小は平成4年、中は平成5年、高校は平成6年に実施された。

具体的な活動や体験を通して自らの生活について考えるため、小学校1・2年生に生活科を新設する。家庭教育を基盤に、そこへ学校教育を接木する試みといえる。
道徳性を育成するため、中学校で、人間としての生き方について自覚を深めるよう道徳的実践に配慮する。この「生き方」というのが中学校のことを考える際のポイントである。特別活動でもこの言い回しと同じである。高校では「在り方生き方」とすこし複雑な表現になる。
個性を生かす教育の充実。
授業1単位あたりの時間が弾力化(従来は小・45分、中・50分)される。密度の濃い30分、作業時間の長くかかっての90分の授業があってもいいであろう。
中学校の「技術・家庭」に「情報基礎」が追加される。
「開かれた学校」の推進。
高校では世界史を必修。社会科は解体されて、地歴科と公民科になった。
高校ではさらに男女ともに家庭科を必修とした。

F.平成10(1998)年・第6次改訂、小・中は、平成10年12月14日改訂され、平成14年に実施される。高校は平成11年3月29日に改訂された。

「ゆとりの中で生きる力をはぐくむ」というよくわからない基本方針。
教育内容の精選と3割削減。昆虫の種類も教科書から激減し、月の満ち欠けも、表示不足の嫌いがある。算数で電卓を使う。π=3となる。
「総合的な学習の時間」の新設(小学校3年以上に実施、1、2年生はこれまでどうり生活科)。
中・高に外国語必修。
高校に「情報」科必修。
中・高のクラブ活動の廃止。部活動は行なわれるが、法律的にはその指導を教員がする根拠はない。

 以上の年表的概観を小・中学校の教育課程編成の視点からまとめなおして示せば、戦後まもなくは、デューイ教育思想の影響強く、民主化政策の中で児童中心主義が重視され、経験主義が強調された。しかし独立国家としての整備が図られる中で、知識の系統性が重視されるようになり、昭和33年の改訂を迎えた。さらに高度経済成長を背景に昭和43年の改訂は一層その傾向を強める。「教育の現代化」がキャッチフレーズになったのは、この学習指導要領であった。しかし「教育の現代化」はいわゆる落ちこぼれを生み、学校嫌いや非行、校内暴力などの学校不適応現象を顕在化させることとなる。この反省に立脚する一方、高校進学率が90パーセントを超える歴史的状況にも対応し、昭和52年には「ゆとりと充実」なる標語をとってつけたように改訂の目玉とした。平成元年の改訂は、さらにそれを推し進め、能力、適正、進路などの多様化に対応するため教育課程編成の弾力化が実行された。と同時に、個性を伸張させる教育の重要性が主張される。1994年度からは、総合学科がお目見えする。今回10年の改定は、完全週5日制実施に向け、「ゆとりの中で生きる力をはぐくむ」というわけのわからぬ方針の下、基礎基本をおろそかにしない教育内容の精選をし、確実な定着を進めていくため、3割削減を敢行する。そして、各学校の創意工夫で特色を打ち出せるよう、独自に学校設定教科・科目を置くことができるようになり、とりわけ総合学科では特色を打ち出そうと努力を要求する構えとなっている。平成15年には、学習指導要領が一部改正され、従来路線を踏襲すると宣言する一方で、ゆとり教育批判をし、文部科学省は自己修正を実現したといえよう。

 なお、過去の学習指導要領については、National Information Center for Educational Resources の、「過去の学習指導要領」を参照されたい。

第6次改訂学習指導要領の構造

 どのようにしてこの学習指導要領が世に出るのかというと、普通、文部科学大臣の諮問機関である教育課程審議会に教育課程の基準の改善についてあらかじめ文部省が諮問し、その答申をまって作成されることとなっている。教育課程審議会は、学習指導要領改訂の前に開かれ、その答申が直接、学習指導要領の記述に反映される(すでにこの教育課程審議会は中央教育審議会に吸収され、廃止された)。

 実際の学習指導要領の作成作業は、文部省の初等中等教育局と体育局が担当し、「学習指導要領作成協力者会議」なるものを組織して行なわれる。できあがった文書は、告示という形式で公示される。「公示」とは、ある事柄を周知させるため、公衆が知ることのできる状態に置くことを意味し(たとえば衆議院議員選挙について国民に公示する、というようにこの言葉は使われる)、とくに各省庁大臣のオフィシャルな機関が行う公示を「告示」という。学習指導要領に関していえば、昭和33(1958)年版のものから告示の形をとった。そして、告示という言葉が、要領が法的拘束力をもつということを端的に示す語彙として、流通するようになった。

 一体、学校では、何をどれくらい教えるべきなのだろうか。学校はこれを計画する。それを教育課程という。教育課程は校種によってちがうが、

小学校では、@各教科 A道徳 B特別活動 C総合的な学習の時間
中学校では、@必修教科 A選択教科 B道徳 C特別活動 D総合的な学習の時間
高校では、 @各教科に属する科目(普通教育に関する各教科と専門教育に関する各教科)A特別活動       B総合的な学習の時間

というように構成されている。ここで@、Aなどと表現している分野を教育の「領域」とよぶ。こうした領域分けは、学校教育法施行規則(それぞれ、24、53、57条)で規定されている。学校で計画され実施される総体的なカリキュラム、プランが教育課程なのであって、これを手短にいいあらわした標語が学校自体の目標に設定される。つまり、それが、「あかるくつよいこ」であったり、「友情・努力・協調」であったりする。ちなみに、C(高校ではB)の総合的な学習の時間を新しい領域としてかぞえるかどうかは、はっきりしないのではないか、と私は思っている。なぜなら、総合的な学習の時間についての説明が要領の「教育課程編成の一般方針」の中で語られているからであって、いいかえると、独立の章として言及されていないからである。ここでは便宜上、ワタクシは「領域」として区分していることをことわっておきたい。

中学校学習指導要領(平成10年12月14日・文部省告示第176号)の「第1章 総則」・「第1 教育課程編成の一般方針」の「1」を掲示しよう。

 「各学校においては、法令及びこの章以下に示すところに従い、生徒の人間として調和のとれた育成を目指し、地域や学校の実態及び生徒の心身の発達段階や特性等を十分考慮して、適切な教育課程を編成するものとする」。

 「学校の教育活動をすすめるに当たっては、各学校において、生徒に生きる力をはぐくむことをめざし、創意工夫を生かし特色ある教育活動を展開する中で、自ら学び自ら考える力の育成を図るとともに、基礎的・基本的な内容の確実な定着を図り、個性を生かす教育の充実に努めなければならない」。

ここに規定されているように、教育課程は「各学校において・・・編成するものとする」のであって、つまり、教育課程編成の責任が「各学校」にあると解釈することができる。現在の日本の学校教育においては、この教育課程は、文部科学大臣が公示する学習指導要領によって、各学校において主体的に、ということは独自に、編成するものと認められている。つまり、一つひとつの学校が、教育課程を「作る」=「編成する」権利をもっているといえよう。これはどういうことを意味するのか。

各学校には、校長、教頭、各主任その他さまざまな校務分掌に分かれて責任者が置かれている。こうした担当者を中心にすべての教員が校務を分担している。学校教育法28条3項によると、「校長は、校務をつかさどり、所属職員を監督する」のであるから、事実上、教育課程の責任主体は校長に帰属することになる。もちろんこのことは、校長の独力で教育課程を編成できるということではない。教員全員の責任で、学習指導要領を基本的な手がかりとしつつ、その編成に取り組むものなのである。

 「各学校」が教育課程を編成する主体であることはわかった。このとき、前提しなければならない教育方法に関する議論や原則がある。前述の「総則」からすると、教育課程の編成上留意すべきは、以下の項目となる。

1.法令と学習指導要領に示すところにしたがうこと
2.生徒の人間としての調和のとれた育成をめざすこと
3.地域や学校の実態を考慮すること。
4.生徒の心身の発達段階と特性を考慮すること。
5.生きる力をはぐくむこと。
6.自ら学び自ら考える力の育成を図ること。
7.基礎的基本的な内容の確実な定着を図りつつ、個性を生かす教育を充実すること。

最後の5・6・7は、ややもすると知識の画一的な注入に陥っていた教育システム自体を反省し、自己教育力を高める手助けを学校が補助すべく、教育理念として組み込んだフレーズであるといえる。文部省の意図するところによれは、学校教育において、各教科の内容を精選し、個に応じた指導をとりいれるなど工夫を凝らしつつ基礎事項の習得に力をいれ、その過程を通じて自ら学び自ら考える、生きる力を身に付けるよう指導することが要求されている。ここでいう「自ら学び自ら考える、生きる力」は、形式陶冶の考え方といっていい。つまり、思考力、判断力、推理力などの人間的諸能力の開発である。こうした趣旨を十分理解して、各教員は教育課程編成をすすめて行かなければならないのである。

 ここでは、1の「法令と学習指導要領に示すところにしたがうこと」とはどういうことなのか、この点、示しておこう。

ここでいうところの法令とは、いうまでもなく教育基本法、学校教育法、学校教育法施行令、学校教育法施行規則、地方教育行政の組織及び運営に関する法律などを指す。さらに、これらの法律・命令を根底から支えている日本国憲法である。学校で学ばれる教育内容は、こどもの心身の発達や興味関心を踏まえ、社会の要請にかんがみ、このような教育規定に照らして、体系的に構成されるべきであろう。それは戦前教育の反省の上に立っている。

戦前の大日本帝国憲法下では、教育に関する憲法条規がなく、「第1章 天皇 第9条」の規定に教育関連法規の根拠を設定した。「天皇ハ法律ヲ執行スル為ニ又ハ公共ノ安寧秩序ヲ保持シ及臣民ノ幸福ヲ増進スル為ニ必要ナル命令ヲ発シ又ハ発セシム但シ命令ヲ以テ法律ヲ変更スルコトヲ得ス」。このように、教育に関する定めを「幸福ヲ増進スル為ニ必要ナル命令」として、つまり天皇の発する行政命令=勅令の形で公布していたのであった。

これに対し、戦後は、教育法規を法律で決めることとした。日本国憲法第26条である。「すべての国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。すべての国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負う。義務教育はこれを無償とする」。ここに盛り込まれた理念は、天皇制をたたえ保障する戦前教育を反省する立場にたち、民主的な教育をとりもどそうとする意欲から、学校教育の基本的なあり方を定めた崇高なものである。そもそも、教育は戦前は国民の義務だった。それが戦後、国民の権利になったのである。国民の「教育を受ける権利」が基本的人権に属するものであるという憲法の主張を、ワタクシたちは心して守っていかねばならない。

憲法の精神にのっとり、教育の基本原則をうたった宣言書が、昭和22(1947)年3月に公布された教育基本法である。この基本法に、教育の目的がはっきりと掲げられている。「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値を尊び、勤労と責任を重んじ、自主的精神に満ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない」。教育基本法は、このほかあわせて全11条、@教育の目的、A教育の方針、B教育の機会均等、C義務教育、D男女共学、E学校教育、F社会教育、G政治教育、H宗教教育、I教育行政、J補則、そして付則からなっている。

日本国憲法及び教育基本法の精神にもとづいて、教育の機会均等などの理念を具体的に学校教育のなかで実現するため、学校教育に関する事項を総合的に規定しているのが学校教育法とそれの実質的運営をまとめた学校教育法施行規則である。この法律も、教育基本法と同時に公布され、現代の学校教育の基盤を構築した根本法規といっていい。学校教育法では、教育基本法に定める目的を小中高について具体化した学校の「目的」と、その目的を実現する学校教育の目標を掲げている。


勉強会(日程)お知らせページ 勉強会報告(討論再現)ページ 勉強会申し込みページ トップページ

浩の教室・トップページへ