「地域」消滅の歴史的由来と教育への市場原理の導入について

1.「地域」消滅の歴史的由来

はじめに

        「地域」の教育力とか、「地域」の再生とか、「地域」という言葉が研究分野を問わず氾濫している。「地域」はどこから来てどこに行くのか、そうしたことについて駄文を連ねるとしよう。「地域」社会と簡単にいうが、その領域がどこからどこまでを指すのかよくわからないし、共通理解もないからなんともいえない。だが、教育と関連させて考えてみようとする小論では、たとえば校区、もう少し大きくして校区が3つ、4つくらいまでだろうか。20万都市の半分ぐらいが「地域」と呼ばれる単位なのか。いずれにせよ、都道府県まで広げると、面積的にも人と人との交流度合いからしても、「地域」を名乗る規模としては大き過ぎるだろうと思われる。交通の発達した現代であっても、面積議論はあまり意味あるものとはならないのでさて置くとして、「地域」の発生は歴史的にどう遡ればいいのだろうか。また、「地域」における人びとのつながり具合は、どう保持されてきたのだろうか。

1.前近代における「地域」

 この「地域」が、どこから発生したのかを史的に尋ねれば、郷党社会あるいは村落社会=村落共同体がすぐに想起される。ちいさな集団生活単位である。そこには生活上の教えや村落の地縁に由来した共通感覚があり(倫理・道徳の発生)、掟があり(法の存在)、相互の助け合いとして頼母子講などがあり(経済的互助)、そこに居住する人間存在を括りつける運命共同体であった。この共同体の中で大人も子どもも「社会」なるものを認知し、「社会」的規範意識が形成され、そこで一生を過ごすかぎり、そうした不可視の価値が、常に共同体住民の胸中を支配してきた。共同体はフォークロア的な知恵の共有や生活の利便性ということでは有益でもあり、逆に裏切り者を許さない殺風景な場所でもあった。これが少しく変質し、伝統的に「世間」として歴史的には連絡してくるのであろうと思われる。

 この共同体社会の形成および支配構造は、よかれ悪しかれ前近代社会の成果であった。東海道五十三次、人力車が走り、一番速い情報伝達手段が早馬かクノイチである。たとえ商品経済の発達があったとしても、モータリゼーションの発達はなく、生産性でいえば現代の何億分の一であろうか。前近代社会はヨコの移動を封じ込める。ヒトの移動もご法度な世の中であった。それゆえ閉鎖的な村落共同体が無数の細胞となって封建社会に組み込まれているのが歴史的実情であった。そこで生き抜くには、草食動物のように、村落という群れで自己防衛するほかない。それはすなわち共同体住民の堅固な結びつき以外にない。一人暮らしは即、死を意味し、もしも村八分になり引水してくれない田畑をかかえてしまえばそれまでである。サラリーマンにはなれないのはいうまでもないし、下手をすれば小作農どころか、悪党にならざるをえなくなる。また、無縁・苦界・楽に身を窶すことになる。商工業が少々展開をみせている封建商都では、悪党であってもオコボレで喰っていける。だが、「地域」でも温度差があって、流浪者にあっては、それ以外のところでは村落と同じような構図が待ち構えていた。要するに、共同体社会はそれそのものがライフラインであった。そこに帰属することがすべてであった。

 人口移動のない共同体は、権力者にとっては支配しやすいブドウの一粒にほかならない。しかもモノいわず刀を納め経済的基盤たる年貢米を供給してくれる。しかし強固であればあるほど、それが暴力的に変化すれば、奇兵隊的な実力装置になるパワーも秘めていた。そうした共同体に巧みな支配を染み込ませる。五人組に代表される身分秩序の変型判による分離支配として機能させ、それぞれにネコの鈴をつけていたといえる。その上、鋤や鍬が武器に変るのを怖れる殿様は、太閤殿下の兵農分離政策に模範を常に求め、いざとなれば高圧的な態度をみせた。太閤の示した領国制支配の基本の「キ」、つまり大名の作法を殿様からどこまでも忘れ去せることはなかったのである。

2.近代における「地域」

 だが黒船来航以来近代化を余儀なくされ、封建社会からの脱出および中央集権体制の編成が国際感覚となって意識されはじめた明治の出発は、みずからが形成して来たったこの共同体を潰すのに必死になることを意味した。支配形態は領国制ではなく、敵は国内ではない。そのための国民創出と国家編成である。下級武士から近代官僚に転換した明治時代の支配層は、その整備の端緒をブドウの房をぐちゃりと潰すことに認め、ブルドーザーと地ならしのためのローラーを持ち込む。村落共同体の人びとの頭の中には、まずは掟がある。その掟の束縛から解放し、新しい法に従わせねばならない。憲法である。憲法が国家の統治組織を規定していることからいえば、封建的な共同体を解体して国家に自発的に従属する装置をスピーディーに動かさなければならない。そうでなければ隣国の植民地化と同じ運命をたどる。しかも、国際関係において一等国にならんとすれば、余計に国民的な統合が支配層に意識されて当然であった。村落共同体、郷党社会、なんと呼んでもいいが、その実質を、そこになじんでいた人びとから強引に奪わなければならない。引き裂かれた共同体住民になにを移植しようとしたのか。いうまでもなく国家意識である。

 ところで共同体住民の軋みを想像することはできても、具体的に生活がどう変化し、ムラオサあるいは地方のボスとしての支配層がどのような顛末を迎えたのかはわからない。こうした人びとがどこに吸収されていったのか、あるいは、どのような存在になったいったのか大変興味があるが、ただ推測的にいうとすれば、中央集権体制の官僚組織における小役人にとりたてられているか、初期にはまだプチブルジョアとはいえないとしても地方の工業化政策実現の中心的存在になっていったのであろう。あるいは、力のあったボスは、地方行政官に様変わりし、一層地方の潰されつつある共同体から搾取をしていたのであろうか。

 さて国家意識の形成に活用されたのが万世一系連綿とする皇統であった。皇国思想が現実に国民を支配していた観念かどうかといえば、「そうではない」としても、昭和戦前期、国民を統合してきた観念は、これ以外にはない。ひとことでいうと国体である。国体観念の国民への教育を媒介としての注入によって、国家はきわめて精巧に作り上げられた。家族を細胞とみなしてグランドデザインが完成した。戦前の国民創出は成功し、紙切れ一枚で死地へ飛ぶことを「誉れ」とされたのである。国家主義教育がそれを担当したのはいうまでもない。1868年から1945年のわずか80年ばかりで、ナチスにうらやましがられる程のヨーロッパに負けない国家ができたのだから、その運転に誤りがあっても不思議ではないし、よそ見、わき見も多発した。ここに至れば個人を守り家族が帰依する共同体は壊滅したといえる。日本国家そのものが運命共同体だからである。

3.戦後における「地域」

 ところが1945年の歴史的断層は権力者の姿勢に劇的変化を与えた。戦前エスタブリッシュメントは平伏すしかなかった。いうまでもなくアメリカから与えられた民主主義的価値に傅くしかなかったのである。松本蒸治の涙などは拭いてやる必要は全く感じないけれども、民主主義社会にスパッと変った戦後の出発は、共同体もないし、強力な支配統合の国家もないし、一種の弛緩状態にあったのではないか。この時期の国民には思想的にふかふかした安心感あるものなどなにもない。しかも新国家建設は戦前支配層の手によって遂行されたけれども、占領下で思想を枉げて実行されていた。民主主義に反する行政態度は徹底的にマークされた。民主化は「正常な」国家形成の方針であったと客観的に評価できるが、対外的独立と自立国家をめざしたエスタブリッシュメントにとっては、蹂躙された気持ちであったろう。幣原以降、国民統合の象徴としてしか意味のない、しかしだからこそ極めて意義のある、山吹憲法の頂に天皇は据えられることになる。人間宣言は「神聖」にして「犯すべから」ざる天皇存在をフツーの人にした。

 困ったのは生きる希望をどこに見出し、どのように生活を立て直していけばいいのかわからないまま黒い燎原に放り出された国民である。個々人の家はあっても、帰るべき共同体もない、村もない。巨大な支配に組み込まれた歪んだ安息感を持つこともできない。空白状態とはよくいわれる形容だが、そこに発見された光は、アメリカ仕込みの自由主義経済に邁進する態度である。

 精神的に勤勉さを備えているといわれる日本国民は、年貢を淡々と納めてきたごとく実直さを武器に月月火水木金金の終わらない循環小数的経済生活を繰り返す。戦後の一時、国家と国民の蜜月関係が再生したように思えた。所得倍増計画。高度経済成長。朝起きたら給料袋の厚みが倍になっているのだから、互助、掟、頼母子講など不必要である。共同体は必要なし、それはつまり「地域」は必要なしと同意味である。信頼を寄せるあるいは村八分になる心配がない生きやすい世界が出現した。民主主義など思想は関係ない、自由主義経済こそ我が命、しかもそれは支配者がうまいこと仕掛けてくれた規制によって後押しされた。兵役もない、宿題もない、試験もない、お化けにはもってこいの世界である。すなわち「地域」などに頼らなくとも「会社」がある。「会社」が古い共同体的特徴を備え、代替団体となった。

 こうした仮説が正しいとすれば、「地域」が再生することなどない。共同体が歴史的紛失を迎え、それに代わる強力な国家も消滅し、自由主義経済の下、「政治家の仕事とは、経済である」と感覚された政治状況は、世界から政治は2流国の烙印を押されることとなる。会社が紐帯となって日々の生活を守ってくれる。佐高氏のいう「社畜」の誕生である。だが、ワタクシたちは気付かなかった。代替団体たる「会社」がなくなってしまえば、どこにすがればいいのか、ということを。

4.「地域」の消滅

 会社は個人を呑み込み急成長したが、掌を返すときが来た。腕力勝負の新保守主義、新自由主義思想は、経済社会を自己責任という言葉で粉飾し、社畜を解放したんだといって突き放す。帰るべき場所を失った国民。あわれな国民。あたたかな家庭はあるのだろうか。「地域」はあるのだろうか。少なくとも「地域」はない。「地域」は歴史的に叩き潰されすぎた。再生するこれっぽっちの土壌もない。その潰された名残を知っている高齢者だけが、通学路で学校に向かう児童生徒に旗を振り、「地域」に貢献していると昔を懐かしんでいるわけである。高度経済成長以降生まれの新人類に、スプレンディッドな時代があったか!そこでの価値は経済価値一辺倒なのである。ヨーロッパでいえばムーミン村のような共同体、地域社会の構築など夢物語である。房は潰され、粒は水分化し、なにかよくわからない酒が醗酵する。

 封建社会の再編成から国家が生まれ共同体が壊滅する。強大な国家がなくなり、経済国家ともいうべき産業経営型資本主義が日本を支配し、「会社」が生まれ、地域不在でもやっていけた。その飽和点が20世紀末から21世紀のそれも2002、3年ころまでであろう。それがいま反省を迫られている。共同体再生の議論は「地域」再生の議論として再検討される機運となり、教育と関わって、大きく議論化した。教育への市場原理の導入として実験的な試みが行なわれていた。さらに、現在ワタクシたちを直撃している経済恐慌によって、社会変動がかまびすしくなり、人びとは、本当にこれでいいのか、と、再度、反省的視点を持って、教育をみつめ直そうとしている。以下、市場原理の導入に対する考察に進もう。

2.教育への市場原理の導入議論

1.一般人の「市場」理解

 「市場機能の発揮こそ教育の質を向上させる」。もう2年前となるけれども、週刊『東洋経済新報』(2007年1月27日号)のインタヴューに応じて述べた福井秀夫氏の断言である。市場とは、経済効率を第一に考え、ベターなものが相手を喰い、ベストなものがベターを喰う弱肉強食の世界だろう。とことんいいものが評価され値段がつく場である。だから、いいわけできない。数字は正直という奴である。この数字をめぐって凄まじい競争が勃発する。

 たとえば、デジタルカメラ競争をとりあげてみる。キャノンとナショナルと、競合する両社がデジタルカメラを生産し、その売れ行きに社内が支配される。どちらかがどちらかを駆逐するか。競争のうちに、キャノンならば、宇都宮ユニオンの大野秀之氏がうなるような製品製造過程の注意と技能を投入し、デジタルカメラ生産に血道をあげる。ナショナルはライカなどとも手を組むと同時に、美人女優をCM起用し販売促進に力を入れる。どのような方法を用いてもいい。このように、ひとつの商品でも価格競争があるから、ギリギリの闘いになる。しかし同時に、ある種の手打ちもある。すなわち、「神の見えざる手」である。だいたいの値段が決まり、よいものが消費者の手に落ちる。物品では、嗜好もあるし、ギリギリまでいけば、どの企業も似たような構造と価格に落ち着くのではないか、というのが、経済学の基本なのだろう。チラシに多種多様に並べられるデジタルカメラの値段の差異は、同じ程度の性能であれば、1万円もない。いや、3000円もない。どれをとってもそこそこに基本機能もよいし、みた目もいい。キャノンとナショナルが、カメラの分野でかぎっていって、共倒れになることはないだろうし、どちらかが暖簾を仕舞うこともない。ギリギリまでいけば、そうなる。ならざるをえない。

 市場の最大の価値はマネーである。「笑いがさんざめく」(経団連)より、マネーである。マネーに結びつけば成功、そうでなければ失敗である。手段は選ばない。経済主義で効率を求めるとき、「少ないコストで最大のメリットを」となるわけで、これを実現するためには、犠牲、皺寄せがどこかにあらわれる。企業は倒れるわけにはいかない。社員や社員の家族の命を守らねばならないからである。路頭に迷わせるわけにはいかない。同じ論理が非正規雇用のものにも貫徹することを期待する。技術と広報、需要と供給、発展と淘汰。ワタクシは経済学者ではないから、一般人として、市場機能を、このように単純に理解している。

2.教育の断面ではどうか

 では、教育における市場原理の導入は、どんな結果をもたらすのか。福井氏は、教員がぬるま湯的世界につかっていると批判し、「緊張感がない」とはっきりいう。大学教員つまり福井氏の立場では、学生からアンケートを受けており、教員が評価されるのは常識であるという。ぬるま湯につかった教員をめざめさせるためには、荒療治も辞さないとの議論である。市場原理の導入が、教育現場を活性させ、ギリギリの勝負をさせる、と。学校同士が鎬を削り、よりよいサービスが該当地域の住民に提供できるとする。福井氏はそういう。

 6歳の子どもの目標とは何か。それは福井氏がいうように、厳しい競争に晒された現実的帰結としての受験能力の自主的獲得だけではない。それは一面的な見方であろう。短いながらも福井氏の書き方では、個人の多様な進路を考えず、大学進学競争だけに論点をあてた主張つまりエリート主義の論調といえる。擁護する立場に立ったとしても、高校生にはあてはまるかもしれないが、小学生にはあてはまらない。福井氏は、まだ一流大学卒、よい企業への就職だけがゴールだと思っているのだろうか。しかも、子どもがこうした厳しい競争に晒されているから、先生もそうであってもいいじゃないか、というのも短絡的思考である。

 学校選択制にして市場原理に任せるなら、どのような教育目標を設定するのか、定立させる必要がある。同じ土俵で戦うなら、キャノンもナショナルも文句はないように、学力一辺倒な世界での勝負なら、そこに強制的に参入させられるのでないかぎり、文句はないといえる。しかし、現実はそんな単純ではなく、大リーガーをめざす諸君もいれば、デザイナーをめざすものもいる。大学に行きたくても行けない経済環境に苦しんでいるものもいる。大学入学人口は、18歳年齢人口の50パーセントに達しようとするが、進学しない50パーセントをどう捉えて福井氏はあの文章を書いたのだろう。なんだか、温かい目がない。さらに、教育環境が同一なら、こうもいえようが、教育に投資する経済は、家庭によってまちまちである。そうした一切合財を考えた上で、同じ土俵で競争するというのでないかぎり、選択制導入の理屈とならないのではないか。塾禁止をあらゆる児童生徒に適用することができるか、逆にすべての児童生徒に塾のための教育費を家庭に供給できるか。両方とも無理だろう。もちろん塾業界も、だまってはいまい。これを自由主義だからとだけいうのは、あまりにもさみしい。さらには、私学(小学校、中学校)は許可しないようにしなければ、平等な競争などといえない。

 もし、受験学力を主に獲得するのが目標だというなら、それはある一部の保護者の持つエゴの反映に過ぎないし、保護者の「目標」を反映するなら、個人の「人格の完成」は自主的完成ではなくなる。これでは、勉強さえできればいいといった思考が再来する。6歳の人間を預かり、11歳までの6年間で、最大効率を求めて、ベストにするとすれば、そこでは、反復学習をこれでもかとする放課後が待っている。このていでいえば、特別活動も不必要、体育や音楽なども不必要となろう。もっとも、特色ある学校の「特色」とは、学力だけではないということを、福井氏は当然想定されているだろうけれども、書いてあることだけを読めば、こう批判されても仕方ないであろう。

3.痛烈な批判は的を射ているか

 福井氏は、教育への市場機能の適用、よくいえば切磋琢磨の思想を導入するよう主張する。これに対しては、上のようにいろいろと反論することができる。公立の学校の教員がいまでも聖職者気取りでいるかといえば、その認識は古すぎるし、競争原理を否定してるかといえば、そこまで現実を知らない教員はいない。すでに東京では人事考課制度、大阪では評価・育成システムが実施され、それらのシステムに同意不同意はあるけれど、それなりの競争意識や被評価対象たることの自覚があるといえる。公立の教員はたしかに税金で喰っている。税金泥棒といわんばかりに効果なき授業をすれば退場を命ぜられるといっても、研究を授業に反映させた結果がでるのは、何年かかかるのであるから、息長い評価態度を要求せざるを得ない。教育という営為は、そもそも時間がかかる作業なのである。ラインに入れればできあがるデジタルカメラなどの商品と同じではない。株主が短期に配当を求める利潤追求と同列に教育をみることはできない。

 こうした理屈をつめていけば、社会保険庁の公務員も税金で喰っているのだから、総退場ではないか。解体的出直しがなかなかうまくいかないなら総解雇だろう。福井氏にもこの点は同意してもらえるだろう。「教員免許など無用、むしろ有害」というのも解せない。最小限度の資質能力を判定せずして教壇に登場させることはできない。後で評価してダメなら退場というのでは、無責任に過ぎる。犠牲になるのは、ダメだったと後で評価を受けた教員の授業を受ける破目にあった児童生徒である。福井氏はこの責任をどうとるというのだろうか。ある程度、刺激的にいわなければ提言の意味がないと福井氏が考えているのかもしれないが、また、紙面の限界から主張をコンパクトにしたのかもしれないが、ドラスティックである。

4.部分的同意点

 様々に批判的に福井氏の議論を考察してきた。「1.地域消滅の歴史的由来」で論じたこととリンクさせて考えてみると、福井氏は、「学校選択制にすると、地域とのつながりがなくなる、という批判もあるが、地域が子どもの教育に責任を持ってくれるのか」と喝破したが、これには反論がみあたらない。地域の教育力などまがいものであるとワタクシも思っているからである。「市場機能の発揮こそ教育の質を向上させる」の議論の中で、スパッとこうした指摘に出会い、ここだけは共鳴できた。地域は無責任であるとのこの命題は、多くの人びとにとっては、激震的表現に映るだろう。だが、地域の無責任性や地域が消滅してしまったと思っているワタクシにとっては、ここだけは福井氏に反論できない。むしろ同意である。

 2006年教育基本法には、学校・家庭・地域社会の連携と理念的に述べられるけれども、地域には具体性は何もない。学校はわかる。家庭もわかる。だが、地域は単なるその時々の善意でしか、何事も動かなそうである。地域運営学校が叫ばれたが、結果を残しているところはあるのだろうか。議論すべきは、目にみえる形で、地域の教育力なるものをみせてくれることである。地域の教育力の実態は、これであるというのをワタクシはみたことがない。学校安全を助ける行為はあるだろうが、授業に責任をちゃんともって(つまり、学力保障)、欠席することなく教育担当する地域はあるのだろうか。地域本部が中心となって学力保障の面でも突っ込んだ取組をしていた「地域」もあったが、校長が変わるとどうなるのかの問題もあるし、教育的意識の高い保護者がそうした組織から抜ければ尻すぼみになることは否定できない。

 そうだとすれば、そもそも「地域」主体のボランティア的な活動は「遊び」なのかもしれない。なんら責任を持つことなく、孫をかわいがるように、地域の子どもを見守ります、なんていうことを主張する地域は偽善である。リタイアした高齢者が横断歩道を渡る児童を注意深く見守っているけれど、事故があったときは、果たして責任を問えるのか。通学路で児童生徒を襲う傷害事件があったとき、地域の人びとは責任がとれるのか。みんな尻込みするだろう。最終的には、「わたしは善意でやっただけ」。これでは困るのである。学校は責任主体としてあるいは攻められてTVにも登場するし、育児放棄ほか家庭にも責任が問われる。だが、のっぺらぼうな「地域」にはそれがない。

5.公教育の崩壊

 だが、また、しかし、地域の無責任性と教育の市場原理の導入とは、どうにも結びつかない。地域が無責任だからといって、市場主義原理を導入するべきだという主張に根拠があるのかどうか。

 市場原理の教育への導入は、厳しい評価で学校教育の在り方を変えていこうということを意味する。それに対し、善意があるだけ、地域の教育力は、まだ温かい目を持っていると評価してもいい。それもすべて拒否するところに、冷徹な経済の論理が貫徹する市場主義原理化の学校が成立すると考えればいいのだろうか。だが、確実に公教育は崩壊の一途をたどるといわなければならない。なぜなら、市場原理は国民の教育水準を高低に分布させる機能を発揮するからである。

(Feb.7,2009)

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