夏目漱石のやさしさと力強さ

 東洋の伝統的芸術に親しく身を寄せ、西洋の文学にも造詣が深く、両者を融合し適切にして鮮やかな描写を作品の随所にちりばめる。そんな漱石であったが、彼はまぎれもなく『こゝろ』の人である。作家なら誰しもそうであろうが、しかし、近代日本において漱石ほど人間の心の微妙な動きに敏感であり、気を配った小説家は数少ないであろう。心の動きに敏感な観察眼は、他者を批評、鑑賞するに向けられるだけでなく、自分の心に誠実であり続けようとした生涯の模索にも光らせていた。

 ときには、漱石のもって生まれた敏感さ、心の繊細さは、周囲の人びとに「神経衰弱」のように映る場合すらあった。『門』の主人公宗助が、「近来の近の字はどう書いたっけね」と細君に尋ねるあたりのやりとりは、期せずしてその繊細さを告白したものであろう。「どうも字と云うものは不思議だよ」、「幾何容易い字でも、こりゃ変だと思って疑ぐり出すと分からなくなる」、「紙の上へちゃんと書いて見て、じっと眺めていると、何だか違った様な気がする」、「己だけかな」。悲しいまでの繊細さである。なるほど神経衰弱と紙一重かもしれない。それにしても『それから』を受けて、こうした疑いに疑う精神の動作を掲示しているのは、友人から奪った女性との生活をはじめる小説の書き出しにぴったりの感がある。

 みてすぐ意味のわかる漢字にさえ、不安をおぼえる漱石である。まして、人間の心の動きに苛まれないわけがない。『硝子戸の中』を読みすすめると、枯淡な生活を送っている漱石であっても、人間の心を掴む難しさに懊悩しきっているのがわかる。それは他人との折衝に関して独白している記述がはっきり示している。漱石は、「何でも他のいう事を真に受けて、凡て正面から彼等の言語動作を解釈すべきものか」どうか悩み、人を信じすぎてだまされたり、馬鹿にされたり侮蔑を受けるのを恐れる。だがまた自分と関わる人すべてをすれっからしだと思い込み、結果として他人のいうことに耳をかさず、他人からたとえば「あいつは人を信じようとしない」などと、あらぬ誤解を受けるような人格であると思われるのも困るという。 

 信じるか、疑うか、それが問題であるが、「私の前に現われくる人は、悉く悪人でもなければ、又みんな善人とも思えない」のであるから、「私の態度も相手次第で色々に」変えていかなければならない。この難しい作業を自分自身に要求する。そしてこうした難しい判断をなんなくやってのけ日常を暮す人びとを、訝しげに賞賛するのである。実は人間観察の鋭さがなせるワザといっていいこのような判断を自然にこなしている人びとに漱石は驚きを隠さない。悪い人を信じず、善い人を傷つけない態度をとるべきで、人によって自分を変える「変化は誰にでも必要で、また誰でも実行している事だろうと思うが、それが果たして相手にぴたりと合って寸分間違のない微妙な特殊な線の上をあぶなげもなく歩いているだろうか」。漱石の大いなる疑問は常にこの点に蟠まっていた。

 心の動きを直に演ずるべき役者を観て、中腰に落ち着かない心持になるのも、心の描写を仕事とする一流小説家の運命といえる。自然な演技と不自然な演技を慧眼な漱石は見分けてしまうのである。リラックスを求めるべく観劇しても、休まるところがない。真と偽を見定めるには神経衰弱的なまでの「疑」が必要であるのか。漱石は彼自身が出会う人びとの心のあり方を捉え違わないよう切に願う。と同時に、その判断の苦しみから解放されたい祈りは、神を登場させるまでになる。「もし世の中に全知全能の神があるならば、私はその神の前に跪ずいて、私に毫髪の疑を挟む余地もない程明らかな直覚を与えて」もらい、相手の本心を捉え違わないように頼みたいとまで述べているのである。心の判断の困難さ、それに伴う苦悶からの解脱を希望してやまない。

 絢爛たる文章で綴られた『草枕』のある場面においては、叙景的に椿を愛でると同時に、その椿を擬人化し、妖女化せざるをえない漱石がいる。数えきれないほど群生している深山椿は、鮮やかさを持っているが陽気さを持たず、「人を欺す花」だという。漱石の椿を描写する筆先は凄まじい。「黒い眼で人を釣り寄せて、しらぬ間に、嫣然たる毒を血管に吹く」妖女のような椿。「欺かれたと悟った頃は既に遅い」、見なければよかったと懺悔してももう眼が離れない。「あの花の色は唯の赤ではない。眼を醒す程の派出やかさの奥に、言うに言われぬ沈んだ調子を持っている」。 

 椿は、「黒ずんだ、毒気のある恐ろしい味を帯びた調子である。この調子を底に持って、上部はどこまでも派出に装っている。然も人に媚ぶる態もなければ、ことさらに人を招く様子も見えぬ。ぱっと咲き、ぽたりと落ち、ぽたりと落ち、ぱっと咲いて、幾百年の星霜を、人目にかからぬ山陰に落ち付き払って暮している。只一眼見たが最後!見た人は彼女の魔力から金輪際、免るる事は出来ない。あの色は只の赤ではない。屠られたる囚人の血が、自ずから人の眼を惹いて、自ずから人の心を不快にする如く一種異様な赤である」。

 花の姿を描こうとして花の心を描いてしまう。それはすなわち自然の生態の中にも人間性を観ようとする、あくまで人間を観察したいという欲望であって、漱石の「こころ」への執着であろう。詩人あるいは画工の理想は、写実に生きるのではなく、心に生きるのであるということを「非人情」の世界から喝破しているといえる。「好意の干乾びた社会」(『思い出す事など』)を含む「人情」の世界では、画にも詩にもなりえない現象があらわれては消え、消えてはあらわれる。

 結局、『草枕』に登場する画工は、画工であるにも関わらず、一枚も絵を描かなかった。画工に扮する漱石は、俗界と離れた鄙びた天地に遊び、そこで一人の女性に出会う。いつしか彼女を題材にしようと目論む。出会った女性に欠けた感情が「憐れ」だと気付いた漱石は、「憐れ」の感情がその女性に灯るまで、その女性を対象として絵を描かなかった。いや描けなかった。そうした禁欲を漱石は自らに課していた。女性の瞳に「憐れ」を見出した瞬間、漱石は心に合点がいき、心に絵を書いたのであった。散文で絵を書いたのであった。心のキャンバスは一つ完成したのである。

 してみると、朝日新聞社の専属作家として独立する際に逡巡したのはなぜだったのか。ただ、おのれの心の繊細さから判断した人間のあらゆる感情を完璧に表現できるかどうか、この先、おのれの繊細さを信じ、描いた登場人物の心の微妙な動きがあぶなげなく読み手に伝わるかどうかーーこうした十字架を背負う忍苦の道程を漱石は予感していたといえよう。

 このような繊細さは漱石のある感情と一対になっているのではないだろうか。それは、漱石の人間に対する痛々しいまでのやさしさであった。人は繊細になればなるほどやさしくなっていく。龍之介ら愛弟子に与えた書簡には、彼らを思いやるあたたかさが溢れているではないか。ましてやそうした意識が、「こりゃ変だと思って疑ぐり出すと分からなくなる」ほど一字一句吟味し尽くされた作品に反映されているのはいうまでもなかろう。漱石の人を見つめるやさしさが、明治大正の世の人びとの心に共鳴したのであり、現代に生きる我々の胸を打つのである。

 しかし、漱石の繊細さ、やさしさは、脆弱さを微塵も含まない。画でも漢詩でも、「如何な大家の筆得になったものでも、如何に時代を食ったものでも、自分の気に入らないものは一向顧みる義理を感じなかった」と胸のすくようないわば『坊ちゃん』的な無鉄砲さの回想は、やさしさに潜む強さを鮮やかに披露している。「流れに枕し、石に漱ぐ」孫楚の負け惜しみの強さに惚れ、それを自分の号にしたことが暗示しているが、厳しく先の見えにくい社会を主体的に生き抜かんとする漱石の力の出処を我々が知るとき、彼のやさしさは一層確かな手応えを伴ってこちらに迫ってくる。世の中を一大修羅場と心得、堂々とそこで「討死」する覚悟と勇気こそ、漱石が人一倍やさしくなれる根拠だったのである。そしてそのやさしさが、究極的には「人間を押す」という漱石文学の力そのものであった。

 漱石が生涯を賭して人間を押しつづけたというその内容は、自己の主義主張、その根底にひそむやさしさを社会に向け、敢然と放つことだったといっていい。この「人間を押す」との表現には、既成の権威や倫理道徳に屈服しない、梃子でも動かぬ信念が込められている。漱石の作品群は、漱石自身の「趣味」である道義観念、倫理意識を顕わにしてみせた近代思想の陳列とみなしてもいいのではなかろうか。その陳列棚には、「高等教育」を享受しながらさまよえる人魂に名付けた、洒脱である一方社会に寄生する居候的な雰囲気の「高等遊民」も飾られている。

 脆弱さなど全く見当たらない。皮相な飾りを取り払い、おのれの核心に叶った道理にのみ基づいて、真っ向から是を是とし非を非とする、実に強靭な近代的理性を体現したのが漱石その人だったのである。いわば生涯絶えて忘れ去られることのなかったやさしさが、彼の意固地なまでの信念を築き上げた秘密であったのである。漱石宅に原稿を持ち込んできたある女性にさとした言葉にも、漱石のやさしさと強さが滲み出ている。書いたものを批評することは「社交ではありません。御互に体裁の好い事ばかり云い合っていては、何時まで経ったって啓発される筈も、利益を受ける訳もないのです。貴方は思い切って正直にならなければ駄目ですよ。自分さえ充分に開放して見せれば、今貴方が何処に立って何方を向いているかという実際が、私に能く見えて来るのです。そうした時、私は始めて貴方を指導する資格を、貴方から与えられたものと自覚して宜しいのです」、遠慮していいたいことを何もいわず、「相手に自分という正体を黒く塗り潰した所ばかり示す工夫をするならば、私がいくら貴方に利益を与えようと焦慮ても、私の射る矢は悉く空矢になってしまうだけです」。

 こんな言葉を吐ける小説家にして教育者は、そうざらにはいない。千円札では価値が低すぎる。しかも、人間対人間の対等の姿勢を、「教を受ける人だけが自分を開放する義務を有っていると思うのは間違っています。教える人も己れを貴方の前に打ち明けるのです。双方とも社交を離れて勘破し合うのです」、と宣言する。こんな言葉をかけられたら、感激と同時に漱石の人間的な大きすぎるほどの大きさをモロに受け止める結果となるので、引き締まると同時に鋭利な刃を首に当てられた気分にもなろう。まな板の鯉の気持ちがよくわかるというものである。

 以上の粗雑な考察から、漱石から継承し学ぶべき課題のひとつに、彼の作品を通じ、現代において枯渇しようとしている人の人に対するやさしさをしっかりと掴みなおすことにあると思われる。次に、漱石から学んだやさしさを土台として、我々なりに生きていく力を養う作業ではないだろうか。護国寺の山門で運慶が鑿と槌を手に木から仁王を掘り出すように、我々は漱石の作品からやさしさや強さをその埋まったまま取り出したい。そしてそれを現代に活かしたい。この課題を解決してはじめて、あの、みずみずしい「徳孤ならずの蜜柑」の味をささやかながら味わえるのであろう。(june 30,2002)


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